2015年5月21日木曜日

9年前にも書いています!

人口抑制装置の作動を抑えるには、人口容量を増やすか、あるいは1人当たりの人口容量(生活水準)を落とすか、どちらの選択しかありません。このことは、先に述べた下記の式が明確に示しています。







実をいうと、こうした選択については、すでに9年前の毎日新聞(2006年2月4日)論壇「どうする少子化」(古田隆彦)で一通り述べています。以下に再掲しますので、改めて確認していただきましょう。

政府の少子化対策は、その意図とは裏腹に出生数を減らしているのではないか

人口が減るのは、「少子高齢化」のためではなく、出生数を死亡数が追い越す「少産多死化」のためだが、この背景には「人口容量(キャリング・キャパシティー)」の飽和化がある。


容量が一杯になると、原生動物から哺乳類まで、ほとんどの動物は生殖抑制、子殺し、共食いなどで個体数(動物の人口)抑制行動を示し、容量に確かな余裕が出てくるまで続ける。さすがに現代人はそこまではしないが、動物である以上、生殖能力や生存能力の低下とともに、避妊、中絶、結婚減少など人為的な抑制を行う。

他方、人間の人口容量は、国土の自然・社会環境をいかなる文明で利用するか、で決まる。歴史を振り返ると、日本列島の人口容量は、旧石器文明で3万人、縄文文明で30万人、粗放農業文明で700万人、集約農業文明で3300万人程度であったと推定される。この壁にぶつかる度に、日本の人口は停滞もしくは減少を繰り返してきた。

人口容量が拡大している時には、1人当たりの人口容量である「生活水準(経済、環境、自由度などを統合した水準)」が伸びても、なお容量にゆとりがあるから、親世代は自らの水準を落とさないで、子どもを増やせる。が、容量が限界に近づくと、許容人口は生活水準が高ければ少なく、水準が低ければ多くなる

そこで、親世代は自らの水準を下げて子ども増やすか、水準を維持して子どもを諦めるか、の選択を迫られる、すでに一定の豊かさを経験している親世代は、それを落とすことを嫌うから、事前に晩婚や非婚を選んだり、結婚後も避妊や中絶を行って出生数を減らしていく。

現代日本は工業製品を輸出して食糧・資源を輸入する〝加工貿易〟文明によって1億2800万人の人口容量を作り出してきたが、これが今、頭打ちになった。


そこで、多くの日本人は無意識のうちにも人口抑制行動を開始し、過去の減少期と同様、出生数を減らしはじめている。つまり、「晩婚化・非婚化」や、「子育てと仕事の両立が難しい」という理由の背後には、「飽和した人口容量の下での自らの生活水準を維持しよう」という、隠れた動機が働いているのだ。

ところが、エンゼルプラン以来の少子化対策は生活水準を上げてしまう。人口容量が伸び悩んでいる時、水準をあげれば、許容量はますます縮小し、その分、出生数を減らし死亡数を増やして、人口を減らす。ミクロの増加がマクロの減少を招くのだ

「子育てと仕事の両立を進めるな」といっているのではない。「この種の政策で出生数の回復は無理」といっているのだ。
政府がお金をかければ、一時的に出生数は増える。が、少し手を抜けば1990年代のスウェーデンのようにたちまち減少する。

本格的に出生数を回復させるには人口容量の拡大しかないが、それには文明次元の転換が必要だから、少なくとも30~40年はかかるだろう。 

いかがでしょうか。こうした考え方にたって、私は今もなお、新たな社会構想を進めています。

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