2015年1月9日金曜日

「少子・高齢化」でなく「少産・多死化」

人口減少の原因が「少子化」でも、「少子・高齢化」でもないとしたら、どのように説明したらいいのでしょうか。2008年に上梓した本の中で、私は次のように書いています。

人口の増減は、海外からの転出入がない限り、出生数と死亡数で決まります。出生数が死亡数より多ければ増え、少なければ減ります。(中略)少子化でいくら出生数が減ってもベビーはゼロになりません。なにがしかが生まれる以上、人口は前年より増えます。他方、高齢化で寿命が延びれば、死亡者は確実に減っていきますから、前年より減少分は減るはずです。

少子化でも出生数が存続し、高齢化で死亡数が減っていくとすれば、出生数と死亡数の差はプラスになる可能性があります。つまり、少子・高齢化だけで人口が減るとは限りません。増えることさえあります。「詭弁(きべん)だ」といわれそうですが、物事を正確に表現すれば、「少子・高齢化で人口が減る」とはいえないのです。

  では、なぜ人口が減るのでしょう。それは(中略)死亡数が出生数を追い越したからです。生まれてくる人の数より死ぬ人の数が多くなる。そうなれば当然、人口は減っていきます。

出生数が減ることを、人口学の「人口転換」論では「少産」と表現しています。社会の進歩発展に伴って、人口動態は「多産多死」(高出生・高死亡)から「多産少死」(高出生・低死亡)へ、さらに「少産少死」(低出生・低死亡)に至るというものです。ここでいう「少産」という言葉には、出産数そのものの減少が意味されています。

この言葉に「化」をつけて「少産化」とすると、それが進む背景としては、①出産適齢期にあたる女性人口が減ってきた、②晩婚や非婚を選ぶ人たちが増えてきた、③結婚しても子どもを作らない夫婦が増えてきた、などが考えられます。さらにその背景として、結婚・出産適齢期の人たちの間では、結婚したり子どもを作ることより、自分の好みの生き方や暮らしを優先するという選択が増えていることがあげられます。(中略)

一方、死亡数が増えることも、人口転換論では「多死」と表現しています。この言葉を引き継いで「多死化」という言葉を使うと、その要因としては過去五〇年間、平均して三年に一歳ずつ伸びてきた平均寿命がそろそろ限界に近づいたという事情があります。マスメディアなどではまだまだ延びると書いていますが、実際のところ、一歳延びるのに今後一〇年間では五年、その後の一〇年間では九年もかかる、という段階に入っています。こうなると、すでに高年齢層の人口が増え始めていますから、死亡数も当然急増します。いわば、「高齢化がはじけて多死化」となるのです。

(中略)

このように少産化の背景には、年齢構成の変化や国民一人ひとりの生活意識の変化といった事情があり、また多死化の背景には、近代的な生活様式や現代医学の限界があります。要するに人口が減るのは、出生数が減って死亡数が増加する「少産・多死化」のためであり、「少子・高齢化」のためではありません。これが人口の減る直接的な理由です。

現実を直視すれば、こんなことはすぐわかることです。にもかかわらず、マスメディアの多くが「少子・高齢化が人口減少の原因」などといっているのはまったく不可解なことです。まして人口学者といわれる人たちが、同様の発言を繰り返すのは怠慢以外のなにものでもありません。

以上は、拙著『日本人はどこまで減るか』幻冬舎新書(P22~26)から引用しました。


くりかえしますが、人口減少の原因は「少産・多死化」です。なぜ「少産・多死化」が進むのか、直接的な理由は上に述べた通りですが、もっと本質的な理由を考えるためには、より広い視野に立たなければなりません。 

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