人口減少の主原因は「少産・多死化」である、と述べてきました。それでは「少産・多死化」はなぜ起こるのでしょうか。
歴史を振り返ってみると、「少産・多死化で人口が減る」という現象は、決して初めてではなく、何度も起こっています。日本の歴史でいえば、旧石器時代後期、縄文時代後期、平安~鎌倉時代、江戸時代中期などが、いずれも人口が停滞あるいは減少した時期であった、と推定できます。
どうしてそうなったのか、その理由はいずれも「人口容量の限界」に突き当たったからです。「人口容量」というのは、生物学や生態学で使われている「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity)」という言葉を、人間に当てはめたものです。
生物学や生態学では「一定の空間において一種類の動物の数(個体数)は決して増えすぎることはなく、ある数で抑えられる」という現象が知られており、その上限を「Carrying Capacity」と名づけています。
日本の生物学や生態学では、一般に「Carrying Capacity」を「環境収容力」とか「環境許容量」と訳しており、「環境」という主体が受け入れてくれる能力というニュアンスで使っています。だが、人間の場合は他の動物と異なり、しばしば文明という方法によって自然環境に働きかけ、キャパシティーを拡大しています。
つまり、〔自然環境×文明〕によって容量を変えていますから、より能動的な意味を込めて、「人口容量(Population Capacity)」と訳したほうが適切だと思います。
実際にこれまでの日本列島に住んだ人々は、いくつかの文明を利用して、列島の人口容量を増やしてきました。さまざまな推計を整理してみると、旧石器文明で3万人、縄文文明で26万人、粗放農業文明で700万人、集約農業文明で3250万人程度であったと思われます。
それぞれ容量の上限までは、人口は増え続けましたが、上限に達すると、停滞あるいは減少しています。その結果が、旧石器時代後期、縄文時代後期、平安~鎌倉時代、江戸時代中期などで、人口が減少した背景だと思われます。
図 キャリング・キャパシティーのイメージ
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