●古代社会
古代では「言語は神々によって与えられた」という発想が広がっていたようです。 ●例えばエジプト神話では、知恵の神トート(Thoth)が文字の発明者、言語の創造者、神々の筆記者、通訳者、助言者などであった、とされています。 ●古代イスラエルの「旧約聖書」では、神から命名権を与えられた最初の人間がアダムだった、とされています。「主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった」(創世記2章19節:YouVersion訳)というのです。 |
●中世社会
中世ではキリスト教的世界観の拡大によって、神授説が明確化したようです。 ●ローマ帝国の神学者、アウグスティヌス(St. Augustine, 354–430)は、自分自身の幼児期の言語習得について回想しつつ、「言語は神からの贈り物であり、人間の霊的成長とともに発展する」と述べています(告白:Confessiones, Book I)。 ●中世イタリアの神学者、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225–74)も「言語の起源を神の理性の反映とみなし、言葉は神の摂理に基づいて創られた」と述べています(神学大全:Summa Theologiae)。 |
●近代社会
近代でも、言語神授説はさまざまな形で提唱されています。 ●ベルリンの王立学術アカデミー会員、ヨハン・ペーター・ズュースミルヒ(Johann Peter Süssmilch:1707-67)が、1756年に行った講演『最初の言語が人間でなく創造主のみにその起源をもつことを証明する試み』の中で、言語は神によって創造された、という「言語神授説」を唱え、大きな反響をよびました。彼はプロテスタントの牧師でありながら、人口統計学の先駆者とも称えられています。 ●フランスの言語学者、ニコラス・ボーゼ(Nicolas Beauzée;1717~1789 ) も、「最初の言語を自然的と想定することは、自然というものの恒常的で統一的なありかたとも相容れないもうひとつの考えである。したがって、神みずからが、最初の二人の人問にかけがえのない話す能カを与えただけでは満足せず、生まれたばかりの社会の要求に必要な語と言いまわしを考えだす欲望と技術を、彼らに直接ふきこむことによって、話す能力をすぐさま十全に開花させたのである」とも述べています(Grammaire Generale、1767)。 |
ところが、19世紀に入ると、科学的思考の拡大とともに、言語神授説は次第に否定されるようになり、入れ替わるように不連続理論が広がってきます。
合理的な変化のように思われるかもしれませんが、この変化は時代識知、つまり世界を理解する精神構造が「リリジョン(宗教)」から「サイエンス(科学)」へ変化したことに由来している、と思います。
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