国立社会保障・人口問題研究所は、2023年4月26日、2020年国勢調査の確定数を基点とする、新たな将来人口推計を公表しました。
それによると、100年後の2120年には、高位値では7203万人、中位値では4973万人、低位値では3483万人まで減っていくということです。
(筆者の予測では減っていきません。このようになります➔人口予測)
3つの予測値の意味するものは、一体何なのでしょうか。いかなる社会が予想できるのでしょうか。
それらを推定する、一つの手段として、3つの人口規模に相当する、過去の時代を振り返ってみました。
●高位値7203万人のモデル・・・1940~1941年(昭和15~16年)
1940年(昭和15年)には、9月27日に日独伊三国軍事同盟条約が調印され、10月12日には大政翼賛会が発足しています。 1941年(昭和16年)には、7月28日に日本軍が南部仏印に進駐、10月18日に東条英機内閣が成立、12月8日には日本軍がハワイ真珠湾を攻撃して、太平洋戦争が勃発しました。 明治以降の人口容量が満杯に近づいたにもかかわらず、日本帝国は人口抑制装置を発動させず、破滅へのサイコロを投げ出した時代です。 |
●中位値4973万人のモデル・・・1911~1912年(明治44年~大正元年)
1911年(明治44年)には、2月21日に日米通商航海条約が改正調印され、関税自主権が確立しました。 翌12年(大正元年)12月19日には、東京で憲政擁護大会が開催され、第1次護憲運動として全国へ広まりました。 近代文明の導入により国内の自給容量が拡大するにつれて、その容量内での近代国家構築が模索された時代です。 |
●低位値3483万人のモデル・・・1872~1873年(明治5~6年)
前年の1871年(明治4年)7月14日に廃藩置県が、7月29日には官制改革(3院8省)が行われ、11月12日には岩倉遣欧使節団が派遣されています。 1872年(明治5年)には8月2日に学制公布、10月14日に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通し、11月9日に太陽暦が採用されました。 1873年(明治6年)10月25日には、征韓論争に破れた西郷隆盛・板垣退助らが参議を辞しています。 明治維新後の明治政府が、西欧近代文明の導入によって、新たな国家制度の構築と科学技術の進展に没頭した時代でした。 |
以上にあげた3つの時代は、人口曲線の下降と上昇が逆対照になっている位置に、概ね相当しているようです。
人口は同じ規模ながら上昇期と下降期では、それぞれの社会特性は大きく変わってきます。
上昇期の社会構造は、下降期になると、どのように逆転するのでしょうか。
3つの予測値で予想される社会の方向を、上記3時代の反転によって推測していきましょう。
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