しかし、この波動も今や限界に達したようで、2004~08年に約1億2800万人でピークに達した後、今後は徐々に減少して、2050年には9000万人、2100年には3800万人に落ちると予測されています(国立社会保障・人口問題研究所2012年予測値)。
なぜそうなるのか、マスメディアなどでは「少子・高齢化のため」などと主張していますが、本当なのでしょうか。
確かに表面的には妥当な説明です。しかし、もっと深く考えると、「少子・高齢化」の背後には、工業現波の人口容量が限界に達した、という事実が潜んでいます。いいかえれば、1億2800万人の人口容量を作りだしてきた加工貿易文明にも、今や翳りが見えてきた。これこそ、2009年ころから人口が減り始めたことの、本当の理由だと思います。
もっとも、このように書くと、縄文時代や江戸時代ならともかく、国際化の進んだ現代日本がなぜ人口容量の壁にぶつかるのか、といぶかる人も多いでしょう。
とりわけ、経済学者やエコノミストの中には「世界中から輸入できるのだから、日本に食糧の壁はない」とか、「科学技術をもっと応用すれば、日本列島の自然環境はまだまだ利用できる」と主張する人が多いのですが、実はそうした考え方自体が20世紀的なのです。21世紀前半の国際構造はそんな考え方をふっ飛ばしていきます。
これまで述べてきたように、人口容量とは私たちの生活を支えるのに必要な、全てのモノやサービスの供給量、さらには時間や空間の自由度をいいますが、一番基本になるのはやはり食糧です。
20年ほど前、農林水産省が食糧封鎖にあった場合の自給可能量を推計しています(食料・農業・農村問題調査会資料・1998年6月)。
それによると、穀物や魚類などの輸入がゼロとなった場合、国内農地の生産だけでは国民1人当たり1760キロカロリーに落ちていきます。現在の消費水準で人口に換算すると、約8400万人分に相当します。
農地の減少が進んで現在の8割になった場合には1440キロカロリーまで落ち、人口換算で約6800万人分です。両者を平均すると約7600万人ですが、これは終戦直後の1946年の水準より少し多い程度です。
とすれば、現在の1億2800万人の人口容量とは、食糧だけでいえば、自給が可能な約7600万人を基礎に、その上に約5200万人を乗せしている、ということになります。
19~20世紀前半に日本の人口が増え続けたのは、近代工業文明の導入で国内の人口容量が飛躍的に高まったためでした。
戦前の日本では、近代的な農業技術や土木技術の導入で国内の農業生産が拡大し、人口容量を約7200~7300万人にまで高めました。
だが、食糧自給はそのあたりが限界だったので、やむなく国外への進出に向かっていきました。それが太平洋戦争の遠因でもあったのです。
しかし、戦後になると、日本は国内自給という足かせを大胆に乗り越え、工業製品を輸出して食糧を輸入するという加工貿易国家を作りあげました。
極言すると、それは生産性の上昇が限界に達し始めた農地を、積極的に工業用地へと切り替えることで、国土全体の食糧調達力をより高めることだった、ともいえるでしょう。
農地に工場を建て、電気製品や自動車を生産して輸出し、その対価で食糧を買うと、元の農地で生産するよりも、もっと多くの食糧が手に入る、という構造です。
それができたのはいうまでもなく、日本の技術力や商品開発力が飛躍的に高まったからです。だが、それだけではありません。もっと大きな理由としては、一部の工業先進国だけが高価な工業製品を生産し、大半の発展途上国が廉価な農業生産を担当する、というアンバランスな国際構造が進んでいたからです。
こうした環境の下では、工業製品の価格が農産品より必然的に高くなりますから、高い工業製品を売って安い農産品を買うのは極めて懸命な方法でした。
戦後の日本はこうした方策を積極的に推進することで、本来なら7600万人程度の人口容量を一気に1億2800万人へと伸ばしてきたのだ、ともいえるでしょう。
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