2016年5月14日土曜日

第3次情報化の時代:粗放農業技術は大建築から製紙へ!

農業前波の停滞期であった、900~1200年の約300年間は、技術の分野でも大きな変化が見られた時代でした。

水稲技術を中核に灌漑、開墾、土木、建築などを中心に進展してきた粗放農業文明は、人口容量の限界に突き当たると、その中核は豪壮な寺院建築から優美な寝殿造りや簡素な武家造りへ、あるいは生産技術から情報技術へと移行していきます。

建造物でみると、人口増加期である飛鳥~奈良時代には、中国大陸や朝鮮半島やから伝来した技術を応用して、飛鳥寺、四天王寺、法隆寺、薬師寺、東大寺など、巨大で豪壮な「唐様」寺院が建てられていました。

しかし、人口容量の制約が強まった、平安時代の中期以降になると、優美で穏やかな「和様」様式が登場し、平等院鳳凰堂や法界寺阿弥陀堂などの寺院や、東三条殿を代表とする寝殿造の公家邸が造られるようになります。

平安末期には厳島神社の大規模な社殿が造営され、また鎌倉初期には中国の影響を受けて、東大寺大仏殿や南大門の再建など、一時的に豪放な建物が造られましたが、その影響は広がらず、むしろ質実剛健を旨とする禅宗寺院や出家僧や隠遁者が侘び住まう草庵など、精神性の高い簡素な建物が広がってきます。

こうした建造物の濃縮化と相携えて、製紙技術もめざましい進展を遂げます。

6世紀半ば、大陸や半島から伝わってきた製紙技術は、平安京遷都直後の大同年間(805~809年)に設立された、官立の製紙工場「紙屋院」で「流し漉き」に進展し、和紙が大量生産されるようになります。

この和紙を使用して、華麗に開花したのが物語・日記・随筆・説話などの国風文学であり、同時に絵解き文化として『源氏物語絵巻』『伴大納言絵巻』『信貴山縁起』『鳥獣人物戯画』という四大絵巻に発展していきます。


このことは、同時代の人々の関心が絵と詞で巧みに表現される情報に傾いたことを示しています。


おそらく彼らに取って、絵巻の登場はテレビの出現に匹敵する大事件だったでしょう。農業前波の停滞期とは、まさに第3次の情報化時代だったのです。

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