2024年9月21日土曜日

相互扶助(mutual aid)は人間の本性なのか?

前回指摘したように、クロポトキンは、相互扶助個人的自助の二つを、人類の基本的な要素、と考えているようです。

私たちは、個人的な自助が人類の最も基本的な本性と考えていますが、そうではなく、自助と共助の両方が人類の本性である、というのです。

その論理を彼の著『相互扶助論---進化の一要素』の中で確認してみましょう。

相互扶助・個人的自助の並立説には、異論を挟む人もあるだろう。

●相互扶助が進化の一要素であるとしても、人間と人間との関係の一面を現すものにすぎない。その他に、個人の自己肯定という一潮流がある。個人的自己肯定を、進化の一要素として見るべきではないか・・・という異論だ。

●確かに、いかなる進化論もこの二大潮流を分析しない限り、不完全なものだ。

●2つの要素のうち、個人や個人の団体の自己肯定や、お互いを優越しようとする競争や闘争については、既に太古の時代から分析され、記述され、讃美されている。現に今日に至るまで、この潮流のみが、詩人や史家や社会学者の注意を引いている。

●しかし、相互扶助の方は従来全く看過されている。それゆえ、何によりもまず、この要素が動物界や人類の進歩に勤めている、大きな役目を説く必要がある。この要素が十分に認められた時に、初めて二要素を比較できるようになる。

●とはいえ、二要素の比較的価値を、 統計的などの方法によって大凡ながらも定める事は、明らかに不可能である。

●けれども、動物界では進歩的発達と相互扶助とが並行して進んでおり、扶助を忘れた、種の内部の闘争がしばしばその種の退歩時代に相当している。

人類界では、戦争や闘争の場合の成功ですらも、共に闘う各国民、各都市、 各黨派、若しくは各氏族の内部に於ける相互扶助の発達に比例する事を知っている。

●相互扶助の実効とその引続いての発達が、人類をしてその藝術と知識と理性とを発達せしむべき社會生活の諸條件を創出し、さらにこの相互扶助的傾向に基づいた諸制度の最も發達した時代が、等しく藝術や工業や科學の最も達した時代であった。

中世都市や古代ギリシア都市の内部生活の研究によって、同業組合やギリシア民族など、個人と団体とが互に相互扶助を行うと共に、聯合主義によって多大の敬意を許された時に、人類史上の二大時代、即ち古代ギリシア都市時代と中世都市時代とが現出したことが判明している。

●ところが、それに次いだ國家時代の間に、相互扶助的諸制度が破滅したため、急速な衰微の時代となった。

(『相互扶助論---進化の一要素』から、筆者が抽出・要約)

以上のように、クロポトキンは、自助と共助がともに人類の本性であるにもかかわらず、自助ばかりが学問や芸術で取り上げられ、共助についてはほとんど見過ごされている、と指摘しています。

しかし、歴史を振り返れば、共助こそが技術や芸術などを発達させ、古代ギリシア都市や中世都市など、人類史上の画期的時代を創り出した、というのです。

ところが、その後の国家制度の成立と拡大によって、共助は衰退に追い込まれた、と述べています。

国家という制度こそ人類衰退の原因」という主張は、まさしく彼の説く「無政府共産主義:anarchist communism」の論理的根拠となっているようです。

果たして「相互扶助:mutual aid」は、そこまで人類の本性なのでしょうか。

クロポトキンの歴史観や政治思想の妥当性を探るため、もう少し彼の主張を眺めていきましょう。

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