2019年11月22日金曜日

ミソロジーとは何だろうか?

前回紹介したように、ミソロジーの定義や観念については、先達諸賢のさまざまな見解があります。

それらを整理したうえで、時代識知という視点から、その特性を探ってみると、次のような事項があがってきます。
 






  
①環境世界を言語で理解する観念的装置
ミソロジー(μυθολογία:mythology)とは、言語の文章による物語(イストリア:ιστορία:istoria)あるいは詩(ポイエシス:Ποίησις :poiēsis)である、と言われています。

確かに、石器前波の「ディナミズム(dynamism)」や石器後波の「インモータリズム(immortalism)」と比べてみると、ミソロジーはその名の通り「言語」の色彩が濃くなってきます

私たち人類は、周りの環境世界を、おのれの感覚能力によって最初に「身分け」し、続いて言語能力によって「言分け」することにより、それなりに理解しています。

ミソロジーは、そうした「言分け」行動の、最も初期的な段階ともいえるでしょう。

元型・象徴で構成する文章・物語

ミソロジーとは「元型が表現された一つの形態である」と、C.G.ユングが指摘しているように、人類の無意識次元のイメージを言語によって表現した物語です。

元型」というのは、私たちの意識の下に潜む「無意識」を表象する、さまざまなイメージを、幾つかのキャラクターとして抽出したものですが、これらを結び付けて、一連の流れとしたもの、ミソロジーということです。

いいかえれば、認知世界の無意識的なドラマを、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系である「シンボル(象徴)」の連鎖によって表現したものともいえるでしょう。

③多様な現象を擬人化した主体群による複合的物語
多くの神話では、自然現象、動物、植物などを“擬人化”した、多様な主体によって、喜怒哀楽、対立和睦など相互関係が説明されています。
 

例えばギリシャ神話でいえば、カオス(空隙)、ガイア(大地)、タルタロス(暗冥)、エロス(美神)、エレボス(暗黒)、ニュクス(夜)から、天界の火を盗んで人類に与えたプロメテウス、地母神パンドラ、半人半神ヘラクレス、勇将アキレウス、ミュケーナイ王アガメムノン、絶世の美女ヘレネーまで、


また北欧神話では、昼の神ダグ、夜の神ノート、太陽の女神ソール、月の神マーニなど、さまざまな登場人物が、多彩なストーリーを演じています。

このことは、自然状況や人間関係の相互作用の中で、善悪的結果への理解や多様な変化への対応など、さまざまな相互関係を示唆しているといえるでしょう。


自然と人為の相互関係を識知
神話とは「人智の及ばぬ自然現象を、文章として説明する試み」(E.B.タイラー)という言説のように、多くの神話では、自然環境に対する人類の対応作法が述べられています。

例えばヴェーダ神話では、雷神インドラは人々から祭祀を受け、それと引き換えに恩恵をもたらす現世利益神、ヴァルナは神通力と幻術を用いて人々に賞罰を下す司法神などです。


また北欧神話では、軍神オーディンは死の神でもあるとともに、文字や魔法を教える知恵の神、ニョルドは風の動きを支配する神、女神フリッグは豊饒と人間の幸福を司る神など、それぞれの持つ人類への影響力が語られています。

自然現象を応用する人間活動の経緯

さまざまな神話の中には、多様なエネルギーの採集・利用・転換法などの識知的理解を促すものが多く含まれています。

インドネシアの死体化生神話に登場する女神ハイヌウェは、自らの死体から様々な種類のを生み出して人民の主食に与えています。

ギリシャ神話デメーテルは、トリプトレモスの種を与え、天から地上に農業を広めて回らせています。

日本神話のアマテラスオオミカミは、アメノオシホミミノカミ稲穂を持たせて地上に降ろし、稲作を始めさせています。

これらの意味するものは、自然エネルギーの農耕・牧畜への最適な転換を促すことであり、それこそが農業前波の人口容量に拡大可能性をもたらしたといえるでしょう。

以上のようなミソロジー観をベースにして、「時代識知」の立場から、農業前波の環境観や世界観を考えていきましょう。

2019年11月15日金曜日

農業前波はミソロジーが作った?

石器前波を創り出した「ディナミズム:dynamism」、石器後波を創り出した「インモータリズム:immortalismに続いて、3番目の人口波動である農業前波を生み出した時代識知とは一体どのようなものだったでしょう。

農業前波は「粗放農業文明」によって生まれた、B.C.3500年頃からA.D.400年頃に至る約4000年の波です。

この時代の人類はシュメール、インダス、ミノア、古代エジプト文明などに見られるように、「神話的な世界観(ミソロジー:mythology)」によって、人口容量を約2億6000万人まで増やしてきたと思われます。

「神話」(mythまたはmythology)の定義や内容については、古代ギリシャから現代に至るまで、歴史学、民俗学、文化人類学、心理学などの諸分野で研究されており、さまざまな言説が展開されています。

その中でも「ミソロジー:mythology」とは何かについて、有力な言説を展開しているのは、イギリスの文化人類学者、E.B.タイラー(1832~1917年)、スイスの心理学者、C.G.ユング(1875~1961年)、フランスの構造人類学者、C.レヴィ=ストロース(1908~2009年)などでしょう。







E.B.タイラーの言説
(詩的な伝説の形成者と伝達者)は祖先から受け継いだ思考と言葉を神々や英雄の神話的な生へと成形し、その伝説の構造のうちに自らの精神の働き示し、自分たちが生きた時代、正規の歴史ではその記憶自体が失われていることも多い時代の技芸や慣習、哲学や宗教を記録にとどめている。

神話とは、その作り手の歴史であって、それが語る内容の歴史ではない。 超人的な英雄たちの生ではなく、詩によって語る諸民族の生を記録しているのである.
     (『原始文化〈上〉』500p、奥山倫明他訳、宗教学名著選・国書刊行会)

C.G.ユングの言説

 神話とは何よりも心の表明であり、そこに表わされているものはこころ(ゼーレ)の本質である(中略)。

未開人は太陽が昇り沈むのを見ているだけでは満足しない。この外的な観察は同時にこころ(ゼーレ)の中の出来事でもなければならない。すなわち太陽の動きは、間の心の中に必ずや住んでいるはずの神や英雄の運命を示している違いないのである。

夏と冬、月の満ち欠け、雨季といったすべての自然現象の神話化は、これらの客観的な経験の比喩であるというよりは、むしろこころ(ゼーレ)の内的無意識的なドラマをシンボルによって表現したものである
                   (『元型論』30p、林道義訳、紀伊国屋書店)

C.レヴィ=ストロースの言説

神話の実体は、文体や話法の中にもまた統辞法の中にもなく、そこで語られる物語の内に見出される

神話は一個の言語であるしかし、きわめて高い水準ではたらく言語活動であって、そこでは、いってみれば、意味がまずその上で滑走をはじめた言語的基礎から、離陸することに成功するのである。

われわれが達した暫定的諸帰結を要約しよう。それらは三つある。


⑴神話が意味をもつとすれば、その窓味は、神話の構成にはいってくる個々の要素にではなく、それらの意味か結びつけられている仕方にもとづいている。

⑵神話は言語の種類に属し、その構成部分をなしている。とはいえ、神話の中で用いられる言語は特殊な諸性格を示す。

⑶これらの諸性格は、言語表現の通例の水準より上にしかもとめることができない。換言すれば、それらは、他の何らかの言語表現の中に見いだされるものよりも複雑な性質のものである。
 
              (『構造人類学』232p、川田順造他訳、みすず書房)

以上のような諸見解を参考にしつつ、時代識知としての「ミソロジー」の位置付けを改めて考えていきましょう。

2019年11月5日火曜日

インモータリズム(immortalism)の時代へ

石器前波を創り出した「ディナミズム(dynamism)=動体生命観」とは、【動体生命観が石器前波を創った!:2019年9月13日】で述べたように、

動いているものであれば、あらゆる物体に対して、「生き物」や「生命」を感じる、という時代識知でした。

いいかえれば、人類は「ディナミズム」によって、時間の推移とともに動いたり変化する、あらゆる物の中に「動力」や「活力」を認め、その延長上にそれらを生み出す「生命力」を想定していたのです。

これに対し、石器後波を創り出したと思われる「アニミズム(animism)」は、【
アニマは人間を超える!:2019年10月23日】で述べたように、

動いている諸物の主体は、すべてが意思を持ち、生死を超えた、不可視の存在である、とみなしていました。

要するに、「アニミズム」とは、前時代の「ディナミズム」の上に、①生命力のあるものはすべて意志や感情という意思」を持つ主体であり、②その主体は生死を超えて継続する、目には見えない存在である、という新たな観念を重ねたものでした。

こうした観念はいささか神秘的な特性とも思われるがゆえに、これまでは「アニマ(霊魂)」とか「アニミズム(汎霊説)」とよばれてきたのですが、客観的な識知論の次元に立てば、むしろ生死を超えた主体論「インモータリズム(immortalism:造語=生死超越観)」とでも名づけた方がふさわしいと思います。

ともあれ、以上のような特性を持つインモータリズムこそ、「石器後波」時代(B.C.9000~B.C.3500年頃)の時代識知、略して「石後識知」であった、と筆者は推定しています。


その理由として推定できるのは、石前識知のディナミズムが自然界のエネルギーを“一方向的”な動きとしてとらえていたのに対し、石後識知のインモータリズムでは“循環的”な動きとして理解しようとしていたことです。



ディナミズムでは、動いている物体に対して感じた「生命」力を、やはり“一方向的”な道具である石矢石槍などを利用して狩猟し、あるいは石核石刃を用いて採集して、自らの生命の維持や拡大に応用するという、いわゆる旧石器文明を創り出しました。

これに対して、インモータリズムでは、動いている生命力には意志や感情を持つ主体があり、目には見えないものの、生死を超えて循環的に存続していると理解したうえで、そのエネルギーをなど(農耕)、あるいは囲いなど(牧畜)を用いて“反復的”に利用し、村落住民の生命の維持や拡大に応用するという、いわゆる新石器文明を創り出しました。

ディナミズムからインモータリズムへ、人類は新たな時代識知の出現によって、より大きな人口容量を作り上げていったのです。