およそ240万年前に生まれた原人、約35万年に生まれた旧人に続き、25万年前に現れ現在に至っている新人は、それぞれに応じた捉え方で周りの世界を理解してきたものと推定されます。
このうち、私たち新人、ホモ・サピエンス(homo sapiens)の世界理解は、時代の流れとともに少しずつ変わってきたようです。
ホモ・サピエンスという生物の特性である「認知」能力と「識知」能力、この2つの能力の変化や向上によって、世界理解の対応はさまざまに変わってきたからです。
とりわけ後者の「識知」能力の変化は、自然環境として与えられている環境世界をどのように利用するかによって、人類が棲息できる上限値、つまり「人口容量」を変えてきました。
その軌跡をおおまかに振り返ってみると、【人口波動は5重の精神史を示す!:2019年3月15日】に示したように、5回ほど大転換をなしとげてきました。
このうち、最初の波動である石器前波(BC40000~BC9000年)を生み出したのは、おそらく「アニマティズム(animatism)」や「プレアニミズム(pre-animism)」といった「認知」革命であった、と思われます。
この識知革命はほぼ間違いなく、言語能力の発達によって生み出された、といえるでしょう。
自然言語の起源については、およそ5万年前に起こった頭脳の突然変異の結果である(不連続性理論:チョムスキー:Avram Noam Chomsky)とか、人類の超長期的な情報処理能力の蓄積の結果である(連続性理論)、などの諸説があります。
そこで、考古学、人類学、神経生理学など十数冊の文献を踏査してみましたが、その中でS.オッペンハイマーの著作(『人類の足跡10万年全史』( Stephen Oppenheimer:Out of Eden: The Peopling of the World:2003)に、以下の表現を見つけました。
(本書について通俗本とのご批判もありますが、筆者は学術書にも通俗本にもこだわらない性分ですので、敢えて引用させていただきます。)
要するに、哲学者が現生人類とチンパンジーのあいだの質的なちがいとして出してきた精神的、実用的な技術のうち、残るのは人類が話すことだけなのだ。
知的能力に大きな量的ちがいはあるが、人類の知力は3万5000年前のヨーロッパの上部旧石器時代にとつぜん開花したわけではなく、それ以前の400万年にわたって進化してきた。
過去300万年のあいだ、人類は脳を使い、歩く類人猿のモデルを改良してきたが、話すことにうながされた脳の大きさの共進化が、その助けになったのかもしれない。
象徴的な概念などを操作する人類の新しい脳の高い能力は、話すこと以外の複雑な仕事へもむけられた。
知的能力に大きな量的ちがいはあるが、人類の知力は3万5000年前のヨーロッパの上部旧石器時代にとつぜん開花したわけではなく、それ以前の400万年にわたって進化してきた。
過去300万年のあいだ、人類は脳を使い、歩く類人猿のモデルを改良してきたが、話すことにうながされた脳の大きさの共進化が、その助けになったのかもしれない。
象徴的な概念などを操作する人類の新しい脳の高い能力は、話すこと以外の複雑な仕事へもむけられた。
いずれにしろ5~3万年前ころに起こった言語能力の発達が、4万年前からの人口増加を引き起こしたものと思われます。
この言語能力によって外部環境の分節化が次々に行われるようになり、それにつれて石器前波を支える「時代識知」が組み立てられ始めました。
それが同時代の人類に定着するにつれ、アニマティズムやプレアニミズムとよばれるような「時代識知」が初めて生み出されたものと推定されます。
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