2019年5月10日金曜日

「パラダイム」で時代識知を捉えられるか?

超長期にわたる「言分け」構造の変化、つまり「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を的確に現す言葉はないのでしょうか。

さまざまな文献を探索してみると、ツァイトガイスト(Zeitgeist)、エピステーメー(epistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語が上がってきます。これらの言葉で果たして捉えられるものでしょうか。

最初は英語のパラダイム(paradigm)です。

改めて述べるまでもなく、アメリカの科学史家・科学哲学者トーマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn)が『科学革命の構造(The structure of scientific revolutions)』1962年刊)で提唱した、科学史や科学哲学上の概念です。





一般には「模範」や「範例」を意味していますが、クーンの定義では「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」(中山茂訳)とされています。

あるいは「広く人々に受け入れられている業績で、一定の期間、科学者に、自然に対する問い方と答え方のモデルを与えるもの」とも説明されており、具体的な事例として、アリストテレスの『自然学』、プトレマイオスの『アルマゲスト』、ニュートンの『プリンキピア』、コペルニクスの『天球の回転について』などがあげられています。

このような意味でのパラダイムをベースにして、一般の科学者たちが行っている研究を「通常科学(normal science)と位置づけると、それらの発展が行き詰まった時にはさまざまな変則性が現れ、危機感が増大してきます。すると、彼らは他のパラダイムに乗り換えられないかといろいろ模索し始めますが、クーンはこれを「パラダイム変換」、つまり「科学革命(scientific revolutions)と述べています。例えばニュートン力学からアインシュタイン相対論への転換がその典型です。

この定義が新鮮だったため、科学理論分野で広く用いられ、さらには社会科学分野にも転用されるようになりました。

資本主義パラダイム,社会主義パラダイムなど社会・経済体制はもとより、経営革新や市場転換などビジネス思想の変換にまで及んで、次第に「時代の思考を決める大きな枠組み」と解されるようになりました。

それゆえ、筆者もまた1970年代に本書の翻訳に接してから、ほぼ半世紀の間、この広義の意味で使用してきました。拙著『
日本人はどこまで減るか・・・人口減少社会のパラダイムシフト』(幻冬舎新書)のタイトルに、副題としても使っています(副題そのものは編集長の提案でしたが・・・)。

しかし、これらはあまりにも拡大解釈だったようです。クーン自身がパラダイムとは自然科学にのみ適応する概念であり、社会科学には適応できない発言しています(前掲書)。 

さらに、さまざまに誤解釈されたり、曖昧さも非難されるようになったため、彼もまた8年後の1970年に公刊された改訂版で撤回し、「専門図式(disciplinary matrix)という、やや陳腐な概念を導入して再定式化を図っています。

言葉の意味は使用法の拡大とともに変わっていくものですから、クーンの修正にこだわる必要はないと思いますが、広義のパラダイムが社会・人文科学的には以上のような概念だと理解すると、「時代識知(savoir de l'époque)」を捉えようとする場合には、次のような限界が浮かび上がってきます。


①科学という機械論的自然観の中での世界観の変容を示しているにすぎません。

アリストテレスからアインシュタインまでの観念転換とはいえ、ギリシア哲学以来の西欧的な自然観・世界観の、内側における変化だけを対象にしているように思えます。

②機械論的自然観を基礎次元として、その中での観念的次元の変化を捉えています。


「身分け」構造を「言分け」構造に変換する時の、最も基礎的な次元を捉えているわけではなく、機械論的自然観の中での段階的、観念的な変化を捉えようとする立場です。

宗教的世界観やアニミズムなどの次元に届くわけではありません。


パラダイムが変わっても、機械論的自然観の中での変化だけであり、それらを超えた「言分け」構造の変容を捉えることはできません。

こうしてみると、「パラダイム」という用語に、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を意味させるのは、いささか無理といえるでしょう。

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