2019年5月21日火曜日

「ツァイトガイスト」で時代識知を捉えられるか?

3番めはドイツ語のツァイトガイスト(Zeitgeist)

ツァイトガイストという言葉は、ドイツ哲学界を代表する学者たちが提唱した概念で、主に一時代に支配的な知的・政治的・社会的動向を表す全体的な精神傾向を意味しており、日本語には「時代精神」と訳されています。

最初にこの言葉を提唱したのは哲学者・文学者のJ.G.ヘルダー(Johann Gottfried von Herder)です。

『フマニテート促進のための書簡(Briefe zu Beförderung der Humanität)』(1793-1797)において、「時代精神」とは、時代の根底にあって、すべての人間とその営為を包容し,時代を動かすとともに時代の志向を集約する、いわば「時代の心」とも称すべき実体と述べています。

この概念は、過去から現在を経て未来に向かう歴史の潮流の基底に潜在して、持続と秩序を本質としつつ、混乱と分裂を統一するような、時代の共通項ともいえるものです。

続いてドイツ観念論を代表する哲学者のG.W.F.ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)が、1822~1831年の講義録『歴史哲学講義(Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte)』において、「時代精神」を歴史の過程と結び付けて論述しています。

「時代精神」とは、個々の人間精神を超えた普遍的世界精神が、歴史の中でおのれを展開していく各過程において現れる、精神の形態である、というものです。

この定義が広まったことから、普遍的な人間精神が特殊的、歴史的現実に展開・具現するところに、ある時代の精神文化を表す時代精神の存在をみる、という見方が確立されることになりました。

ところが、20世紀初頭になると、「生の哲学」の創始者W.C.L.ディルタイ(Wilhelm Christian Ludwig Dilthey)が、『精神諸科学における歴史的世界の構成』(Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften,1910)において、ヘーゲルの概念中心主義を批判し、よりも具体的に生活体験という視点から出発して、その中に時代精神を了解するのが精神科学(Geisteswissenschaft)の使命である、との見解を表明しました。

人間の精神活動を知・情・意の「作用連関」としてとらえ、価値体系を中核にした作用連関の表出のうちに「時代精神」を了解(Verstehen)するのが精神科学である、と提唱したのです。

以上のように、「ツァイトガイスト(Zeitgeist)」という言葉も、提唱者によって、かなり異なる意味を与えられているようです。

果たしてこの言葉で、超長期にわたる「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を捉えることができるでしょうか。次のような課題が浮かび上がってきます。

 定義がさまざまで、定まっていません

時代の変化、提唱者の立場によって、言葉の意味や定義がかなり変化しています。

観念的・学問的次元に留まっています。


最も影響力のあるヘーゲルの定義においても、精神史や精神文化などの言葉が示す通り、「ツァイトガイスト」は観念的・学問的な次元の言葉として扱われており、より根底的な「識知」を捉えるには適切ではありません。

より広い概念もやや曖昧です。


ヘルダーのいう「時代の心」やディルタイのいう「生活体験という視点」であれば、超長期的な「識知」を捉えることも可能かもしれませんが、実際に適用しようとすると、やや曖昧な定義だといえるでしょう。

以上のように、「ツァイトガイスト」という概念もまた、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」とは微妙に異なっている、と考えるべきでしょう。

2019年5月14日火曜日

「エピステーメー」で時代識知を捉えられるか?

超長期にわたる「時代識知(savoir de l'époque)の変容を的確に現す言葉として、思想史学の中からツァイトガイスト(Zeitgeist)、エピステーメー(epistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語を見つけましたが、これらで果たして捉えられるものでしょうか。

2番めはギリシャ語のエピステーメー(epistēmē)

もともとはプラトンやアリストテレスが、単なる感覚的知覚や日常的意見である「ドクサ(doxa:憶見)に対立させ、確かな理性的認識を意味する言葉として使用したものでした。

この言葉を1960年代に、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(Michel Foucault)がさまざまな時代に固有のものの考え方の枠組み、思考の台座、つまり時代を支配するメタ知構造として使用したことから、構造主義思想の基本用語となりました。



フーコーは『言葉と物』(Les mots et les choses,1966)の中で、エピステーメーとは「ある時代におけるさまざまな学問の成立を可能にならしめる、その時代固有の知の深層構造」(渡辺一民・佐々木昭訳書の解説)を意味する言葉として使っています。

この定義に基づいて、本書では、「表象」の自律性のもとに博物学、一般文法、富の分析などを可能にしていた17~18世紀(古典時代)のエピステーメーから、生命、言語、労働に関する諸科学、人間に関する経験的探求の出現を可能にした19世紀以降(近代)のエピステーメーへの変化が分析されています。

3年後に出版された『知の考古学』(L'archéologie du savoir,1969)になると、上記の定義をベースにしつつ、さらに方法論的・認識論的(哲学的)考察を展開し、その概念を発展させています。

「〈エピステーメー〉なる用語によってわれわれの解するのは、或る与えられた時代において、認識論的諸形像、諸科学、そしてときには形式化された諸システムを生ぜしめるさまざまな言説的実践を統一しうる諸連関の総体」(中村雄二郎訳)とされています。訳者によると、「一時代の文化全体の基底にある『認識の糸』あるいは『根底知』と解されています。

エピステーメーがもしこのような意味だとすれば、当ブログの求めている「時代識知(savoir de l'époque)」にごく近い概念のようにも思えます。

だが、細かく読み返してみると、必ずしもそうとはいえないようです。

40年前の1970年代、筆者もまた『言葉と物』の翻訳書を初めて読んだ時には、「エピステーメー」という、斬新な発想に大変共感を覚えたものでした。

それゆえ、続いて出た『知の考古学』には、エピステーメーの具体的な変遷を期待したのですが、それは見事に裏切られました。


この本の内容は概念的な論説に始終しており、実際にそれが通時的にどのように変わってきたかという、考古学的な考察はほとんどなされていなかったからです。

これでは『知の考古学』というタイトル自体が無理なのではないか、とも思ったものでした。

そんなわけで、エピステーメーによって「時代識知」を捉えようとすると、次のような限界が浮かび上がってきます。

 超長期の変化を捉えられるのか
エピステーメーは、主として17~18世紀以降の学問や文化の推移を対象にした考察や分析から生まれた用語や概念です。中世や古代、さらには原始社会までを連続的に把握するには、かなり不安が残ります。

言葉以前の表象活動をどこまで捉えられるのか。

「さまざまな言説的実践を統一しうる諸連関の総体」である以上、言説とは別の次元に現れる表現行動や精神活動などは把握できないのではないでしょうか。

パラダイムに比べ長所もあるが短所が残る。
トーマス・クーンの「パラダイム」と比べると、エピステーメーの対象は科学一般から博物学、哲学、経済学など諸学問に広げられていますが、時間的な視点になると逆に狭まり、主に17~18世紀以降におかれています。

となると、「エピステーメー」という用語にも、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を意味させるのは、やはり荷が重いのではないか、と思います。

2019年5月10日金曜日

「パラダイム」で時代識知を捉えられるか?

超長期にわたる「言分け」構造の変化、つまり「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を的確に現す言葉はないのでしょうか。

さまざまな文献を探索してみると、ツァイトガイスト(Zeitgeist)、エピステーメー(epistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語が上がってきます。これらの言葉で果たして捉えられるものでしょうか。

最初は英語のパラダイム(paradigm)です。

改めて述べるまでもなく、アメリカの科学史家・科学哲学者トーマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn)が『科学革命の構造(The structure of scientific revolutions)』1962年刊)で提唱した、科学史や科学哲学上の概念です。





一般には「模範」や「範例」を意味していますが、クーンの定義では「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」(中山茂訳)とされています。

あるいは「広く人々に受け入れられている業績で、一定の期間、科学者に、自然に対する問い方と答え方のモデルを与えるもの」とも説明されており、具体的な事例として、アリストテレスの『自然学』、プトレマイオスの『アルマゲスト』、ニュートンの『プリンキピア』、コペルニクスの『天球の回転について』などがあげられています。

このような意味でのパラダイムをベースにして、一般の科学者たちが行っている研究を「通常科学(normal science)と位置づけると、それらの発展が行き詰まった時にはさまざまな変則性が現れ、危機感が増大してきます。すると、彼らは他のパラダイムに乗り換えられないかといろいろ模索し始めますが、クーンはこれを「パラダイム変換」、つまり「科学革命(scientific revolutions)と述べています。例えばニュートン力学からアインシュタイン相対論への転換がその典型です。

この定義が新鮮だったため、科学理論分野で広く用いられ、さらには社会科学分野にも転用されるようになりました。

資本主義パラダイム,社会主義パラダイムなど社会・経済体制はもとより、経営革新や市場転換などビジネス思想の変換にまで及んで、次第に「時代の思考を決める大きな枠組み」と解されるようになりました。

それゆえ、筆者もまた1970年代に本書の翻訳に接してから、ほぼ半世紀の間、この広義の意味で使用してきました。拙著『
日本人はどこまで減るか・・・人口減少社会のパラダイムシフト』(幻冬舎新書)のタイトルに、副題としても使っています(副題そのものは編集長の提案でしたが・・・)。

しかし、これらはあまりにも拡大解釈だったようです。クーン自身がパラダイムとは自然科学にのみ適応する概念であり、社会科学には適応できない発言しています(前掲書)。 

さらに、さまざまに誤解釈されたり、曖昧さも非難されるようになったため、彼もまた8年後の1970年に公刊された改訂版で撤回し、「専門図式(disciplinary matrix)という、やや陳腐な概念を導入して再定式化を図っています。

言葉の意味は使用法の拡大とともに変わっていくものですから、クーンの修正にこだわる必要はないと思いますが、広義のパラダイムが社会・人文科学的には以上のような概念だと理解すると、「時代識知(savoir de l'époque)」を捉えようとする場合には、次のような限界が浮かび上がってきます。


①科学という機械論的自然観の中での世界観の変容を示しているにすぎません。

アリストテレスからアインシュタインまでの観念転換とはいえ、ギリシア哲学以来の西欧的な自然観・世界観の、内側における変化だけを対象にしているように思えます。

②機械論的自然観を基礎次元として、その中での観念的次元の変化を捉えています。


「身分け」構造を「言分け」構造に変換する時の、最も基礎的な次元を捉えているわけではなく、機械論的自然観の中での段階的、観念的な変化を捉えようとする立場です。

宗教的世界観やアニミズムなどの次元に届くわけではありません。


パラダイムが変わっても、機械論的自然観の中での変化だけであり、それらを超えた「言分け」構造の変容を捉えることはできません。

こうしてみると、「パラダイム」という用語に、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を意味させるのは、いささか無理といえるでしょう。