人口容量が限界に達した社会で生きる人々は、自らの生活水準をいかに維持するかということに、極めて敏感になってきます。
とりわけ出産適齢期の夫婦では、それが強く意識されます。つまり、子どもを作るか、自分たちの生活水準を維持するか、という厳しい選択を問われるからです。
人口抑制装置という視点から見ると、この選択には2つの次元が含まれています。
一つはマクロな次元・・・
人口容量が増えない以上、夫婦は自らの生活水準を削って子どもを作るか、生活水準を優先して子どもを作らないか、という選択を迫られます。
人口容量の上限に近づくにつれて、一人当たりの生活水準が抑えられてきますから、前者より後者を選ぶ夫婦が次第に増えてきます。
もう一つはミクロな次元・・・
多くの夫婦は自らが享受している生活水準とほぼ同じ水準を子どもにも与えたい、と考えていますが、人口容量の分け前が急減している社会では、ほとんどそれが不可能になってきます。
前者は夫婦自身が生まれた時の「自我肥大度」(自我肥大度こそ結婚忌避の真因!・参照)がほぼ達成された水準ですが、後者は子ども自身の「期待肥大値」(現代日本の総期待肥大値を計る!・参照)であり、前者に比べてはるかに低い水準となります。
マクロ、ミクロの両面から、多くの夫婦は自らの立場とともに、子ども自身の立場を考えても、常にこうした選択を迫られます。
そのことが多くの夫婦に対して、出産へ踏み切ることを躊躇させるようになるのでしょう。
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