人口波動と個々人の生活意識の関係については、図に示したように、「期待肥大値」と「自我肥大度」の2つが考えられます。
このうち、「期待肥大値」については、【現代日本の総期待肥大値を計る!】(2015年6月17日)の中で、すでに紹介しています。
「期待肥大値」とは、1人当たりの生きられる期待値(人口容量の上限/出生年の総人口)であり、生まれた時点で、自分の一生が何万人生きられる社会なるのか、どのくらいまで拡大していけるものなのか、などを“期待”する意識のことです。
具体的にいえば、戦前生まれの老人は人口容量7500万人を、また戦後生まれ中年は1億2800万人を、それぞれ前提にした生涯意識を持っている、ということです。
これを総計した値が、人口容量を越えるか否かで、その後の人口推移が決まってくると【総期待肥大値を2110年まで展望する !】(2015年6月30日)の中で述べておきました。
「期待肥大値」とは、1人当たりの生きられる期待値(人口容量の上限/出生年の総人口)であり、生まれた時点で、自分の一生が何万人生きられる社会なるのか、どのくらいまで拡大していけるものなのか、などを“期待”する意識のことです。
具体的にいえば、戦前生まれの老人は人口容量7500万人を、また戦後生まれ中年は1億2800万人を、それぞれ前提にした生涯意識を持っている、ということです。
これを総計した値が、人口容量を越えるか否かで、その後の人口推移が決まってくると【総期待肥大値を2110年まで展望する !】(2015年6月30日)の中で述べておきました。
一方、「自我肥大度」とは、各人が生まれた年の人口波動上の位置をさしており、その時点で、どれほどの豊かさ、どれほどの生活水準にあったか、を意味しています。これによって、各人の生活水準への意識レベルを測ることができます。
人口9000万人の1957年ころに生まれた人の意識より、人口1億2000万人の1984年ころに生まれた人の意識の方が、より肥大化しているということです。
個々人の意識が肥大化しているというよりも、生育した社会環境によって、自らそうした変化が生まれてくるといえるでしょう。
このように考えると、「自由度の維持」や「結婚の不必要性」が増加する、結婚忌避志向の背景には、結婚適齢期に入った人々の「自我肥大度」が深く関わっているといわざるをえません。豊かな社会環境の中で、一度高度な生活水準を体験した人々ほど、そこから外れることを恐れるのです。
人口容量の上限が迫ってくる社会では、一方では一人当たりの生活容量が次第に少なくなりますが、他方では自我肥大度を膨らませた結婚適齢者が増えてきます。
そうなると、結婚適齢者は「自我肥大度を抑えて結婚し、生活容量を分け合う」か、「自我肥大度を守るため、結婚しないで生活容量を確保する」かの選択を迫られたうえ、後者を選ぶ人が増えてくるのです。
要約すれば、人口が増え、人口容量の上限に近づくにつれて、「自我肥大度」は高まりますが、逆に「期待肥大値」は減少してきますから、前者が後者を圧倒するのです。
このように、結婚忌避志向の根源には、一人ひとりの個人を越えた、社会的な構造があります。これこそ、人間社会にも「人口抑制装置」が存在することの、紛れもなき証拠といえるでしょう。
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