2024年7月24日水曜日

グローバル・レシプロシティーの前提を考える!

(新著執筆のため、しばらくお休みしていましたが、ようやく完了しましたので、グローバル・レシプロシティー論を再開します。)

グローバル・レシプロシティーを構築する前提として、22世紀の国際的な経済構造を考えています。

現在の市場経済制度の存続が前提になるとは思いますが、果たしてそれでいいのでしょうか。

私たち現代人のほとんどは、資本主義や自由主義に代表される市場経済を普遍的な社会構造であり、その存続を疑うことすらありえない、と思っているようです。

確かに人類社会がさまざまな経済制度の更改を繰り返しつつ、ようやく辿り着いた制度であることは、疑いのない事実かもしれません。

だが、本当に変えられないものなのでしょうか

人類史を振り返ってみると、必ずしもそうではないのでは、という疑問も芽生えてきます。

そんなわけで、ここ3カ月の間、原稿を書き続けながらも、買い集めた蔵書の中から関連する資料を漁ってきました。

ギリシア、ローマ時代の哲学者の論説から、近・現代の古典経済、近代経済、社会主義などの著名学者の著作まで、一通り目を通してきました。

しかし、これらのほとんどが市場の存在を、人類の基本的な経済構造と見なしており、その興廃などについては、ほとんど触れてはいませんでした。

そんな中でただ一つ、「市場は社会の従属物にすぎなかった」という所説に出会いました。

このブログでも何度も触れている、経済人類学者のカール・ポランニー(18861964の「時代遅れの市場志向」(平野健一郎訳)という論文の中でした。



この中でポランニーは、20世紀前半のさまざまな所説を紹介しつつ、市場はもとより経済という制度もまた、社会という全体構造の中の一つにすぎない、と述べていました。

彼によると、「19世紀の第2・4半期より前のいかなる時代をとっても、市場は社会の従属物にすぎなかった」というのです。

というわけで、ここ暫くは、私たち個々の人間が生活の大前提にしている市場制度の歴史について、ポランニーの所説を再検討していきたいと思います。