2025年9月12日金曜日

「言語生成」における「言語」とは何か?

 言語生成論・新仮説」を提案する前提として、まずは「生活世界構造」における「言語」という認識装置の立ち位置を明かにしておきましょう。

筆者のブログ「生活世界構造」論では、私たち人類は周りに広がる環境世界を、「身分け」「識分け」「言分け」「網分け」という、4つの認識能力によって順番に把握しているのだ、と考えています。


➀「身分け」では、外部に広がる環境世界「ソト界」を感覚能力、つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚によって、多面的に「認知」しています。

➁「識分け」では、「身分け」が捉えた「モノ界」を「意識」によって、形、音、臭い、味、物などと個別に「識知」しています。

➂「言分け」では、「識分け」が捉えた「モノコト界」を「表象」によって、動作、音声、形象、表号、文字などに「言知」しています。

➃「網分け」では、「言分け」が捉えた「コト界」を「観念」によって、術語、科学記号、数学記号などに「理知」しています。

以上のような構造の中で、「言語」という認識装置は、どのように位置づけられるのでしょうか。

基本的には、「言分け」が行う「表象化」、つまり「識分け」が捉えたモノコト界の事物を、動作、音声、形象、表号、文字などに置き換える装置である、ということです。

音声=ボイス文字=レターはもとより、動作=ジェスチュア形象=イメージ表号=マークもまた、広義の「言語」として活動するのです。

このように考えると、言語生成論の対象となる「言語」とは、動作、音声、形象、表号、文字を、全て意味することになります。

狭義の「言語」論が音声言語や文字言語だけを対象にしているのに対し、広義の「言語」論では動作言語、形象言語、表号言語まで含まれている、ともいえるでしょう。

とすれば、言語の生成とは、音声や文字の進化はもとより、動作、形象、表号などとの柔軟な絡み合いの中からも、しなやかに育まれてくるものだ、と考えなければなりません。

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