ところが、1945年以降、人口容量は再び増加していきます。それを可能にしたのは、ハイテク化、日本型資本主義化、グローバル化の3要素を基盤とする「加工貿易国家」という新しい体制の登場でした。
この変化は、「富国強兵国家」から「加工貿易国家」へと、国家目標が一変したかのようにみえますが、必ずしもそうではありません。
工業現波の後半の「加工貿易国家」は、前半の「富国強兵国家」が形を変えて達成されたものでもあり、目標達成のための基礎的な要素はほとんど変わっていないからです。
つまり、「加工貿易国家」を支える基盤は、明治以来の文明開化、殖産興業、脱亜入欧の3大政策を、形を変えて継承したものです。
① 文明開化は戦後、アメリカ型ライフスタイルを目標とする生活構造やそれを支える西欧文明への強い憧れとなって、欧米型科学技術の導入に一層拍車をかけました。その結果、80年代後半までに、日本は世界最先端の応用型科学技術を誇るハイテク国家に成長しました。
② 殖産興業も、戦後はアメリカ型経済・経営システムを導入し、それを基盤に独自に改良を加えた日本型市場経済や日本型経営システムを創りだしたことで、世界に冠たる経済力を誇るようになりました。
③ 脱亜入欧は、アジア諸国の目覚しい発展によって「入亜」あるいは「協亜」に変わりましたが、加工貿易体制を維持、拡大していくためには、アジア、欧米はもとより、世界各国と外交や通商を行なうグローバル化が必要、という姿勢に継承されています。
以上のように、戦前の3要素は、「文明開化」は「ハイテク化」へ、「殖産興業」は「日本型市場経済」へ、「脱亜入欧」は「グローバル化」へとそれぞれ戦後に引き継がれています。
そして、この3つに支えられた「加工貿易文明」によって、戦後のわが国は約1億2800万人の人口容量を構築することに成功しました。
つまり、資源・エネルギーを輸入して高付加価値の工業製品を製造し、それらを輸出した収益で食糧・資源を購入する、という体制を作りだし、完全な自給自足であれば7500万人程度の人口容量を約1億2800万人へ、ほぼ2倍にまで拡大したのです。
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