4番めの波は、西暦1200年頃から1800年に至る「農業後波」で、歴史学の区分では、鎌倉時代中期から室町・安土桃山時代を経て江戸時代中期に至る約600年間です。
この時期の気候をみると、15世紀から19世紀中葉にかけての平均気温は現在より1~2度低く、とりわけ18世紀は小氷期とよばれるほど低温でした。
それにもかかわらず、再び人口容量が拡大できたのは、当時の人々がわが国独自の方法で水田稲作技術を高度化させ、新たに「集約農業文明」ともいえる文明を成立させたからです。
この文明では、集約農業技術の発展、貨幣経済の進展、大名の領地支配の3要素が基軸となっています。
3要素が絡み合って、1200年ころから徐々に増え始めた農業後波の人口は、1600年ころから急上昇に転じ、江戸中期の1730年前後に約3250万人でピークを迎え、その後は減少していきます。
詳しくは拙著『人口波動で未来を読む』や『日本人はどこまで減るか』などの中でで説明していますので、以下では要点だけを述べていきます。
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