宗教では、平安末期には、800年代に中国五台山から伝わっていた念仏三昧法を基に、わが国独自の浄土信仰が生まれ、922年(延喜22年)頃から市井の修行僧・空也が口称念仏を唱えて浄土教を庶民へ広めています。
985年(寛和元年)には、天台宗の僧・源信も『往生要集』を著して、浄土信仰を貴族層へ浸透させ、仏像や仏画、仏教建築などにその影響を残しました。
院政・鎌倉初期に入ると、新興の武士層や農民層の求めに応じて、旧仏教の中から浄土宗や浄土真宗が生まれ、新たに中国から禅宗、つまり臨済宗と曹洞宗も輸入されています。
文学では、漢字の音訓を借りた「万葉仮名」を基に、草書体を略した「ひら仮名」や一部を略記した「カタ仮名」が生み出され、さまざまな文学が創作されました。
これを使って、905年(延喜5年)、醍醐天皇の命で最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が編纂されたほか、竹取物語、伊勢物語、うつほ物語などの物語文学が隆盛となり、1008年(寛弘五年)頃には紫式部が『源氏物語』を著しています。
日記・随筆でも、935年(承平5年)頃に、土佐の前国司・紀貫之がひら仮名で『土佐日記』を著して日記文学を始めると、蜻蛉日記、和泉式部日記、更級日記などが続き、996年(長徳2年)頃に清少納言が随筆集『枕草子』を著しています。
院政時代に入ると、今昔物語集、宇治拾遺物語、古今著聞集など、庶民層向けの説話文学も現れています。
鎌倉初期には、保元の乱を題材とする『保元物語』、平治の乱を描いた『平治物語』、平氏の興亡を綴った『平家物語』などの軍記物が現れたうえ、鴨長明の『方丈記』や藤原定家の『明月記』などの随筆や日記文学も登場しています。
絵画では、平安末期から院政期にかけて、唐絵に対する「やまと絵」が創設され、源氏物語絵巻、伴大納言絵詞、信貴山縁起、鳥獣人物戯画の、いわゆる四大絵巻が制作されています。鎌倉初期には、平治の乱を描写した『平治物語絵巻』や『北野天神縁起絵巻』が制作されました。
建築では、平安末期、浄土教の影響を受けて、1053年(天喜元年)に藤原頼通が平等院鳳凰堂を建立し、同時期に日野資業が法界寺阿弥陀堂を建立しています。仁安3年(1168年)頃には、平清盛が厳島神社の大規模な社殿を造営しています。鎌倉初期になると、雄大さや豪放さを特色とする大仏様として、1203年(建仁3年)に東大寺南大門、1200年(正治2年)東大寺開山堂内陣が建てられています。
以上のように、農業前波の停滞期とは、弥生時代以来の大陸文化を吸収し醸成したうえで、独自の国風文化を確立した時代だったといえるでしょう。
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