2016年2月16日火曜日

人口減少社会・日本の先例・・・石器後波の減少期

2番目の事例が、石器後波の紀元前2000年から前500年に至る約1500年間です。

石器後波とは、前1万年から前500年に至る波で、考古学や歴史学の時代区分では縄文前期から晩期にあたる約9500年間に相当します。
 当時の人口推移については、文化人類学者の小山修三が、早期(前8000~前4000年)28万人、前期(前4000~前3000年)11万人、中期(前3000~前2000年)26万人、後期(前2000~前1000年)16万人、晩期(前1000~前500年)8万人、弥生時代60万人と推計しています(『縄文時代』)。
石器後波が生まれた、基本的な背景は次の3つです。

気候の変化・・・最終氷期が終った紀元前1万3000年ころから、気温が上昇し始め、これに伴う海水面の上昇で、前1万1000年ころに日本列島は大陸から切り離されて、ほぼ現在の地勢となりました。

縄文人の誕生・・・自然環境が変化する中で、列島の旧石器人は大陸人の特徴を温存しつつも、内外から幾つかの影響を受けて、縄文人に進化しました。

縄文文明の成立・・・縄文人は従来の旧石器文明を発展させて、列島独自の新石器文明、つまり考古学でいう「縄文文化」を作りだしました。文化と文明の区別については諸説がありますが、ここでいう文化は文明とほぼ同義語として使われていますから、「縄文文明」とよぶことにします。

気候の変化、縄文人の誕生、縄文文明の成立の3つが絡まって、前1万年ころから始動した石器後波の人口は、前3000~前2000年にピークに達した後、急減していきます。

その時代の社会はどのようなものだったのでしょうか。

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