5つの人口波動と4つの生産・分配制度の関係を、おおまかにイメージ化してみると、下図のようになります。
①石器前波では、家政(家族集団が自ら使用するのための生産)の比重がおそらく70~80%に達し、続いて互酬(家族や血縁者間での贈与や相互扶助)や物々交換(異なる家族集団間での交換)が10~20%、残りが再配分(村落共同体による集約と分配)であったと推定されます。
②石器後波になると、物々交換(異なる家族集団間での交換)の比重はあまり変わりませんが、家政はやや低下し、代わって互酬や再配分(古代王権国家による集約と分配)の比重がやや高まったものと思われます。
③農業前波では、家政の比重がおそらく半分以下に落ち、互酬はさほど変わりませんが、再配分と交換の比重が上昇してきました。再配分ではいわゆる封建国家による収奪と分配が進行し、また交換では「市場(いちば)」や「もの売り」など初期的な商業交換が広がっていきました。
④農業後波になると、家政の比重は多分20%程度に落ち、互酬はある程度維持されましたが、再配分と交換の比重が急上昇して、両方で60~70%に達するようになりました。再配分では初期的な国民国家による税収と保障が開始され、また交換では広域的な商業市場の成立に伴って商業交換が拡大しました。
⑤工業現波では、家政と互酬を合わせた比重は20%以下に落ち、再配分と交換を合わせた比重が80%を超えるようになりました。再配分では、いわゆる福祉国家による税収・年金負担と生活保護・年金給付などが拡大し、また交換では、地域や国家を超えた市場の拡大で、いわゆる市場経済が広がって、生活者の暮らしの半分以上を占めるようになっています。
このように見てくると、私たちが暮らしの前提として、ごく当たり前のように考えている福祉国家制度や市場経済制度は、必ずしも絶対的な制度ではなく、大きな時代の変化とともに移り変わっていく、可変的な制度であるといえるでしょう。
2015年9月29日火曜日
2015年9月14日月曜日
生産・交換制度の未来を読む!
工業後波を支える3つの要素(集約科学技術、集約市場経済、選択的国際化)のうち、集約市場経済、つまり新たな生産・分配制度については、次のような方向が考えられると思います。
経済人類学者のK.ポランニーによると、人類が歴史的に創り出してきた生産・分配制度、つまり経済のしくみには、家政、互酬、再配分、交換の四つがある、といいます(『大転換』『人間の経済』『経済の文明史』による)。
それぞれの内容は次のようなものです。
●家政(house holding)・・・「自らの使用のための生産」であり、ギリシャ人が、「エコノミー」の語源たる「オイコノミア(oeconomia)」と名づけていた制度として、「閉鎖集団」内の構成員の「欲求を満足させるための生産と貯蔵という原理」に基づいている。
●互酬(reciprocity)・・・「義務としての贈与関係や相互扶助の関係」であり、「主に社会の血縁的組織、すなわち家族および血縁関係に関わって機能する」制度として、「対称的な集団間の相対する点の間の(財の)移動」をいう。
●再配分(redistribution)・・・「権力の中心に対する義務的な支払いと中心からの払い戻し」であり、「主に共通の首長の下にある人々すべてに関して効力をもち、従って、地縁的な性格」の制度として、「(財が)中央に向かい、そしてそこから出る占有の移動を表す」ものである。
●交換(exchange)・・・「市場における財の移動」であり、「システムにおけるすべての分散した任意の2つの点の間の運動」となる制度である。
現代風にいいなおすと、「家政」とは個々人とその家族だけの自給自足制度、「互酬」とは家族や親族、さらには継続的な地縁・友縁などによる生活扶助制度、「再配分」とは国家による生活保障制度、「交換」とは市場を通じて形成される生活構築制度ということになるでしょう。
これら4つの制度について、ポランニーは、常に同じ比重で存在してきたのではなく、時代とともに変化してきた、と述べています。つまり、「西ヨーロッパで封建制が終焉を迎えるまでに、既知の経済システムは、すべて互酬、再配分、家政、ないしは、この3つの原理の何らかの組み合わせに基づいて組織されていた」のですが、16世紀以降、重商主義システムの下に、初めて「市場」という、新たな交換システムが登場しました。
この交換システムは、19世紀に入ると、貨幣を交換手段とする市場経済へと発展しました。市場経済は、従来の〝付属物〟的な「市場」とは根本的に異なる「市場交換システム」として拡大しましたので、経済制度の中心は互酬、再分配、家政から交換へと移行しました。しかし、それでもなお互酬、再分配、家政の役割は消滅したわけではなく、とりわけ再分配の比重は高まる傾向にある、とも述べています(『大転換』)。
以上のような生産・分配制度の推移を人口波動と関係を示すと、表のようになるでしょう。
①石器前波・・・氏族集団が、捕獲(狩猟中心)・採集生産を前提にした自給自足により、家政を達成してきた。
②石器後波・・・氏族や古代王権が、捕獲(狩猟・漁労)・採集生産を前提にした物々交換・互酬・再配分により、家政を達成してきた。
③農業前波・・・農民・職人や古代国家が、粗放農業(農耕・牧畜)を前提にした初期商業・互酬・再配分などにより、家政を達成してきた。
④農業後波・・・農工職人や封建国家が、集約農業(農耕・牧畜)を前提にした貨幣経済・再配分・互酬により、家政を達成してきた。
⑤工業現波・・企業・工場や福祉国家が、近代工業を前提にした市場経済・再配分・互酬により、家政を達成してきた。
このような関係は、次の人口波動である工業後波になると、どのように変わっていくのでしょうか。
経済人類学者のK.ポランニーによると、人類が歴史的に創り出してきた生産・分配制度、つまり経済のしくみには、家政、互酬、再配分、交換の四つがある、といいます(『大転換』『人間の経済』『経済の文明史』による)。
それぞれの内容は次のようなものです。
●家政(house holding)・・・「自らの使用のための生産」であり、ギリシャ人が、「エコノミー」の語源たる「オイコノミア(oeconomia)」と名づけていた制度として、「閉鎖集団」内の構成員の「欲求を満足させるための生産と貯蔵という原理」に基づいている。
●互酬(reciprocity)・・・「義務としての贈与関係や相互扶助の関係」であり、「主に社会の血縁的組織、すなわち家族および血縁関係に関わって機能する」制度として、「対称的な集団間の相対する点の間の(財の)移動」をいう。
●再配分(redistribution)・・・「権力の中心に対する義務的な支払いと中心からの払い戻し」であり、「主に共通の首長の下にある人々すべてに関して効力をもち、従って、地縁的な性格」の制度として、「(財が)中央に向かい、そしてそこから出る占有の移動を表す」ものである。
●交換(exchange)・・・「市場における財の移動」であり、「システムにおけるすべての分散した任意の2つの点の間の運動」となる制度である。
現代風にいいなおすと、「家政」とは個々人とその家族だけの自給自足制度、「互酬」とは家族や親族、さらには継続的な地縁・友縁などによる生活扶助制度、「再配分」とは国家による生活保障制度、「交換」とは市場を通じて形成される生活構築制度ということになるでしょう。
これら4つの制度について、ポランニーは、常に同じ比重で存在してきたのではなく、時代とともに変化してきた、と述べています。つまり、「西ヨーロッパで封建制が終焉を迎えるまでに、既知の経済システムは、すべて互酬、再配分、家政、ないしは、この3つの原理の何らかの組み合わせに基づいて組織されていた」のですが、16世紀以降、重商主義システムの下に、初めて「市場」という、新たな交換システムが登場しました。
この交換システムは、19世紀に入ると、貨幣を交換手段とする市場経済へと発展しました。市場経済は、従来の〝付属物〟的な「市場」とは根本的に異なる「市場交換システム」として拡大しましたので、経済制度の中心は互酬、再分配、家政から交換へと移行しました。しかし、それでもなお互酬、再分配、家政の役割は消滅したわけではなく、とりわけ再分配の比重は高まる傾向にある、とも述べています(『大転換』)。
以上のような生産・分配制度の推移を人口波動と関係を示すと、表のようになるでしょう。
①石器前波・・・氏族集団が、捕獲(狩猟中心)・採集生産を前提にした自給自足により、家政を達成してきた。
②石器後波・・・氏族や古代王権が、捕獲(狩猟・漁労)・採集生産を前提にした物々交換・互酬・再配分により、家政を達成してきた。
③農業前波・・・農民・職人や古代国家が、粗放農業(農耕・牧畜)を前提にした初期商業・互酬・再配分などにより、家政を達成してきた。
④農業後波・・・農工職人や封建国家が、集約農業(農耕・牧畜)を前提にした貨幣経済・再配分・互酬により、家政を達成してきた。
⑤工業現波・・企業・工場や福祉国家が、近代工業を前提にした市場経済・再配分・互酬により、家政を達成してきた。
このような関係は、次の人口波動である工業後波になると、どのように変わっていくのでしょうか。
2015年9月7日月曜日
工業文明の次を読む!
石器文明、農業文明、工業文明という区分を「大文明」、旧石器文明、新石器文明、粗放農業文明、集約農業文明、粗放工業文明という区分を「細文明」と名づけますと、大文明とは2つずつペアになった細文明が共通して基盤にしている文明ということになります。
このブログでは、文明という言葉を「言語能力を発展させて、抽象化能力を持つ人類が、周囲の自然環境に新たに働きかけて、人口容量を拡大したり、より大きな人口容量を作りだす働きかけ」という、限定した意味で使っています。
この定義を最大限に拡大して、人間の生息環境全体に適用してみますと、文明とは「人類が生きていくためのエネルギー獲得法」ということになります。つまり、地球上に降り注ぐ、膨大な宇宙エネルギーをいかにして獲得し、人類が生きていくための生命エネルギーにどのような形で変換しているか、ということです。
アメリカの著作家John Geverらが、人口容量とは「人間が利用可能なエネルギー量およびそのエネルギーがどのように用いられているかを調査すること」に尽きる、といっているとおりです(Beyond Oil)。
これこそ「大文明」とよべる次元であり、人類の文明史の最も基盤にある石器文明、農業文明、工業文明をさしていますが、それぞれの特性は次のように整理できます。
石器文明とは「太陽エネルギーが短期的に蓄積された動植物を石器によって採集し消費する」もの。さまざまな動植物の体内に蓄積された太陽エネルギーを、石器を開発して人間の暮らしに利用することで、人間用エネルギーへと変換しています。
農業文明とは「太陽エネルギーが短期的に蓄積された動植物を育成して消費する」もの。地上に降り注ぐ太陽エネルギーを、農耕や牧畜によって意図的にさまざまな動植物の体内に蓄積させ、そのうえで人間のエネルギーに変換しています。
工業文明とは「太陽エネルギーなどが長期的に蓄積された化石燃料などを採集して消費する」もの。地球の内部に蓄積された太陽エネルギーや宇宙エネルギーを、科学技術によって発掘し高度に利用することで、人間向けのエネルギーに変換しています。
これらの延長線上で、より大胆に考えれば、工業文明の次にくる文明が予想できます。
仮にそれを「未来文明」と名づけると、その中身は多分、過去のエネルギー蓄積を単に発掘して消費するだけでなく、人間の知恵や知識を応用して、太陽のエネルギーやその背後にある宇宙エネルギーまでも巧みに蓄積したり、効率的に増幅する文明になっていくでしょう。
なぜなら、石器文明から農業文明への移行が、短期蓄積エネルギーの「採集・消費」から「育成・消費」への転換に裏付けられていたように、工業文明から未来文明への移行もまた、長期蓄積エネルギーの「採集・消費」から「育成・消費」への転換によって、初めて開始されるのではないか、と思うからです。
つまり、未来文明は「太陽エネルギーや宇宙エネルギーを育成して消費する」文明です。
こうした未来文明へ向かって、私たち人間が集約工業文明の段階をとばして、一気に駆け上るという可能性もないわけではありません。だが、そうなるにはまだまだ課題が山積しています。
第1に、現代の工業文明はなお未熟な段階にあり、さらに進展する余地があります。
第2に、現在の工業文明に代わるよう未来文明を創造するには、世界的な次元でかなりの時間が必要です。
第3に、次の未来文明を生み出すには、現代の工業文明から〝橋渡し〟の役割をする、もう一段高い次元の工業文明が必要です。
とすれば、私たちはおそらく、まずは集約工業文明を創造し、それを基盤にして、その次の未来文明へと向かっていくことになるでしょう。
このブログでは、文明という言葉を「言語能力を発展させて、抽象化能力を持つ人類が、周囲の自然環境に新たに働きかけて、人口容量を拡大したり、より大きな人口容量を作りだす働きかけ」という、限定した意味で使っています。
この定義を最大限に拡大して、人間の生息環境全体に適用してみますと、文明とは「人類が生きていくためのエネルギー獲得法」ということになります。つまり、地球上に降り注ぐ、膨大な宇宙エネルギーをいかにして獲得し、人類が生きていくための生命エネルギーにどのような形で変換しているか、ということです。
アメリカの著作家John Geverらが、人口容量とは「人間が利用可能なエネルギー量およびそのエネルギーがどのように用いられているかを調査すること」に尽きる、といっているとおりです(Beyond Oil)。
これこそ「大文明」とよべる次元であり、人類の文明史の最も基盤にある石器文明、農業文明、工業文明をさしていますが、それぞれの特性は次のように整理できます。
石器文明とは「太陽エネルギーが短期的に蓄積された動植物を石器によって採集し消費する」もの。さまざまな動植物の体内に蓄積された太陽エネルギーを、石器を開発して人間の暮らしに利用することで、人間用エネルギーへと変換しています。
農業文明とは「太陽エネルギーが短期的に蓄積された動植物を育成して消費する」もの。地上に降り注ぐ太陽エネルギーを、農耕や牧畜によって意図的にさまざまな動植物の体内に蓄積させ、そのうえで人間のエネルギーに変換しています。
工業文明とは「太陽エネルギーなどが長期的に蓄積された化石燃料などを採集して消費する」もの。地球の内部に蓄積された太陽エネルギーや宇宙エネルギーを、科学技術によって発掘し高度に利用することで、人間向けのエネルギーに変換しています。
これらの延長線上で、より大胆に考えれば、工業文明の次にくる文明が予想できます。
仮にそれを「未来文明」と名づけると、その中身は多分、過去のエネルギー蓄積を単に発掘して消費するだけでなく、人間の知恵や知識を応用して、太陽のエネルギーやその背後にある宇宙エネルギーまでも巧みに蓄積したり、効率的に増幅する文明になっていくでしょう。
なぜなら、石器文明から農業文明への移行が、短期蓄積エネルギーの「採集・消費」から「育成・消費」への転換に裏付けられていたように、工業文明から未来文明への移行もまた、長期蓄積エネルギーの「採集・消費」から「育成・消費」への転換によって、初めて開始されるのではないか、と思うからです。
つまり、未来文明は「太陽エネルギーや宇宙エネルギーを育成して消費する」文明です。
こうした未来文明へ向かって、私たち人間が集約工業文明の段階をとばして、一気に駆け上るという可能性もないわけではありません。だが、そうなるにはまだまだ課題が山積しています。
第1に、現代の工業文明はなお未熟な段階にあり、さらに進展する余地があります。
第2に、現在の工業文明に代わるよう未来文明を創造するには、世界的な次元でかなりの時間が必要です。
第3に、次の未来文明を生み出すには、現代の工業文明から〝橋渡し〟の役割をする、もう一段高い次元の工業文明が必要です。
とすれば、私たちはおそらく、まずは集約工業文明を創造し、それを基盤にして、その次の未来文明へと向かっていくことになるでしょう。
2015年9月2日水曜日
再び人口が増加する社会とは・・・
工業後波を支える3つの要素は、これまでの粗放科学技術、粗放市場経済、無制約国際化から、集約科学技術、集約市場経済、選択的国際化へと転換されていきます。
いいかえれば、次の工業文明はおそらく従来の粗暴な次元を乗り越え、より成熟し洗練された科学技術、経済制度、国際関係へ進んでいくということです。
これこそ「粗放工業文明から集約工業文明へ」、あるいは「工業前波から工業後波へ」の移行を意味しています。これまでの工業前波は工業文明の前半にすぎず、工業後波の開始に伴って、工業文明はより成熟し、より完成された段階に入っていくということです。
もしこの転換を、日本人の手で21世紀の中ごろまでに達成することができれば、21世紀後半の日本の人口容量は再び拡大し、それにともなって日本の総人口も再び増加しはじめ、1億280万人の壁を易々と乗り超えていくでしょう。
勿論、そのインパクトは日本に留まるものではありません。日本人が新たな文明の可能性を見つけだすことができれば、それは同時に、世界の総人口が、80~90億人という人口容量の壁を突破し、再び上昇をはじめることを意味しています。
こうした意味でも、工業現波の最先端を突っ走っている日本は、21世紀の最先進国として、まっさきに次の波動を作りだす役割を担っているといえるでしょう。
いいかえれば、次の工業文明はおそらく従来の粗暴な次元を乗り越え、より成熟し洗練された科学技術、経済制度、国際関係へ進んでいくということです。
これこそ「粗放工業文明から集約工業文明へ」、あるいは「工業前波から工業後波へ」の移行を意味しています。これまでの工業前波は工業文明の前半にすぎず、工業後波の開始に伴って、工業文明はより成熟し、より完成された段階に入っていくということです。
もしこの転換を、日本人の手で21世紀の中ごろまでに達成することができれば、21世紀後半の日本の人口容量は再び拡大し、それにともなって日本の総人口も再び増加しはじめ、1億280万人の壁を易々と乗り超えていくでしょう。
勿論、そのインパクトは日本に留まるものではありません。日本人が新たな文明の可能性を見つけだすことができれば、それは同時に、世界の総人口が、80~90億人という人口容量の壁を突破し、再び上昇をはじめることを意味しています。
こうした意味でも、工業現波の最先端を突っ走っている日本は、21世紀の最先進国として、まっさきに次の波動を作りだす役割を担っているといえるでしょう。
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