2015年3月31日火曜日

生物的抑制が始まっている!

人口減少が始まってほぼ7年、現代の日本でも人口抑制装置が確実に作しています。

さまざまな抑制装置について、それぞれの動きを確かめておきましょう。

まず生物的抑制装置でいえば「生殖能力の低下」が目立っています。

若い世代のセックス離れ・・・第7回男女の生活と意識に関する調査(一般社団法人日本家族計画協会、2014年9月調査、対象:16〜49歳の男女3000人、

①セックスについて「あまり、まったく関心がない」と「嫌悪している」を合わせた男性の割合が18.3%で過去最高となりました。特に若年層ほど関心が低く、16〜19歳で34.0%▽、20〜24歳で21.1%▽25〜29歳で21.6%ーとなり、45〜49歳の10.2%をも上回っています。

②夫婦の間で1カ月以上セックスのない、いわゆる「セックスレス」の割合は44.6%(男性36.2%、女性50.3%)で、年々増え続けています。セックスに消極的な理由は、男性では「仕事で疲れている」(21.3%)、「出産後何となく」(15.7%)、女性では「面倒くさい」(23.8%)、「仕事で疲れている」(17.8%)の順でした。「趣味など他にセックスより楽しいことがある」といった前向きな理由を選んだ人は、男性4.5%、女性5.9%で少数派でした。
 

不妊は増加傾向・・・第14 回出生動向基本調査:結婚と出産に関する全国調査(国立社会保障・人口問題研究所、2010年6月調査、対象:妻が50 歳未満の夫婦の妻、
 
①結婚後15~19年の夫婦でみると、不妊を心配した経験のある割合は、第12 回調査(2002 年)の20.0%から、第13回調査(2005 年)21.7%を経て、今回27.6%と増えています
 
②同夫婦で、検査や治療の経験がある(治療中を含む)割合も同時期に12.1%から、12.8%を経て、今回16.5%と増えています。



流死産も増加傾向・・・同上の調査

結婚後5年未満の夫婦における流死産経験の割合は、第11回調査(1997年)では7.8%でしたが、その後は増加傾向にあり、第14 回調査(2010年)では10.2%となっています。

以上にあげた、3つの現象の全てが生理的抑制装置の作動とはいえないかもしれません。

しかし、人口容量の制約が強まるにつれ、日本人の生物的な生殖能力もまた、なんらかの影響を受け始めていることはほぼ間違いないといえるでしょう。

2015年3月24日火曜日

人口減少は極めて〈正常〉な現象!

日本は今、現代の工業文明が作りだした人口容量、12800万人の壁に突きあたっています。

人口容量の壁に突きあたれば、これまで述べてきた、人為的な人口抑制装置が作動します。

文化が安定している社会では、人間は自ら人口を抑制する動きを高めるからです。現代日本の文化的状況も比較的安定していますから、私たち日本人もまたパニックに陥る前に、人口を抑制しようと動きだしているのです。

とすれば、人口減少は決して〝異常〟な出来事ではなく、極めて〝正常〟な現象です。マスメディアの中には、昨今の人口減少を「人口病」とか「人口減少病」などと揶揄して、異常視するむきもありますが、それこそ視野狭窄にすぎません。現代の日本人は人口容量の限界に正しく反応していのです。


このことを確かめるために、人口容量と人口抑制装置の関係を、数式で説明してみましょう。



この式の分子、N(自然環境)×C(文明)は、一つの文明が自然環境に働きかけて作りだした総生息容量を示していますから、これをPとすると、次のように表現できます。


つまり、ある時期の人口容量は、総生息容量を一人当たりの生息水準で割ったもの、ということです。総生息容量が多くても生息水準が高ければ人口容量は低くなり、逆に総生息容量が少なくても生息水準が低ければ人口容量は多くなります。

経済環境に限っていえば、GDPが高くても、国民一人当たりの所得水準が高ければ人口容量は少なくなり、逆にGDPが低くても、所得水準が低ければ人口容量は多くなる、ということです。

この式を前提にすると、人口容量の飽和化と人口抑制装置の作動するプロセスは、次のように説明できます。

P(総生息容量)が伸びている時には、L(一人当たりの生息水準)が伸びても、V(人口容量)にはなおゆとりがあるから、人口は増える余地がある。逆にいうと、Pの伸び率が人口の伸び率より大きい時には、Lも上昇する。このため、自らの生息水準を落とさないで、親世代は子どもを増やすことができるし、また子ども世代は高齢の親世代を扶養することができる。

Pが伸びなくなった時、Lがなお伸び続けると、Vはますます落ちるから、人口容量は増えなくなる。逆にいうと、Pの伸び率が衰えて人口の伸び率を下回りはじめると、Lも低下せざるをえない。

③Pが伸びない以上、Vを増やすには、Lを下げるしかない。そこで、親世代は自らの生息水準を下げて子ども増やすか、生息水準を維持して子どもを諦めるか、の選択を迫られる。また子ども世代は自らの生息水準を下げて老年世代を扶養すべきか、生息水準を維持して老年世代の扶養を縮小するか、の選択を迫られる。

④すでに一定の豊かさを経験した世代の多くは、その生息水準を落とすことを嫌うから、親世代は事前に晩婚や非婚を選んだり、結婚しても避妊や中絶などを行なって、出生数を減らす。また子ども世代は老年世代の世話を拒否したり、年金負担を忌避するから、老年世代の生息水準は次第に低下し死亡数が増える。

⑤さらには、動物界のなわばりや順位制のように、Vの分配をめぐって競争が激化し、より多くを獲得した、一部の優者だけが優先的にLを維持して、生息水準を落とさないまま、結婚して子どもを増やしたり、老年世代の世話を継続するようになる。だが、競争に負けた劣者の多くは、その分Lの分け前が少なくなり、ますます結婚、子作り、老年者扶養を忌避するようになるから、全体としては人口が抑制される。

⑥こうした環境下で人間が選ぶ、晩婚や非婚という結婚抑制行動、避妊や中絶などの出産抑制行動、老年者介護の拒否や年金負担の忌避などの扶養敬遠行動は、いずれも個々の人間の意思的な選択であるが、それが集団に広がるにつれて、社会的に認知されたムーブメントとして定着していく。その意味で、これらの行動は人為的、文化的な抑制装置なのである。

以上のように、人間は人口容量の制約が近づくと、さまざまな人為的抑制装置を作動させて人口を抑えています。現在の日本で進み始めている人口減少の、本当の理由もまたここにあります。こうした理解をしない限り、人口減少社会の本質を把握し、そのゆくえを正しく見定めることはまず不可能でしょう。


 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月21日土曜日

人口抑制装置が作動する時

人口抑制装置は、実際にはどのように作動しているのでしょうか。

おおまかに表現すれば、抑制装置が作動するのは、人口が人口容量(ポピュレーション・キャパシティー)の上限に近づいた時です。

より厳密にいえば、修正ロジスティック曲線の上で、キャパシティーの半分を過ぎたころから、抑制装置は作動し始めます。人口がキャパシティーの半分を超えると、1人当たりの容量、つまり「生息水準」が落ち始め、それに伴って人口も徐々に伸び率を落としていくからです。このことは、すでに抑制装置が作動していることを示しています。

今「生息水準」と書きましたが、動物ならいざしらず人間に、この言葉を使うのはいささか不適当で、やはり「生活水準」というべきかもしれません。

しかし、生活水準という言葉は、専ら所得水準をベースにした、経済学的な意味で広く使われており、ここで議論しているような、人間のより広い自由度を表わす言葉としては適当ではありません。経済的な生活水準が上がっても、逆に時間的な自由度や空間的なゆとりが減ることは先進各国の生活態様をみれば、容易に想像できます。

そこで、他の動物と同様に、生息水準を使ってみました。もっと積極的にいえば、さまざまな動物たちがそれぞれの種にふさわしい生存水準を持っているように、人間という種もまた文化や精神的な自由度までを含めた、人間独自の生存水準を持っている、ということです。さらにいえば、古代人、中世人、近世人はそれぞれが生きていた時代によって、生息水準の量や質を変えてきたのだ、といいたいのです。

こうした意味での生息水準と人口抑制装置との間には、図のような関係が働いています。




 
 
①一定の文明が作りだす人口容量は、その文明が実際に自然環境を開拓するに伴って、徐々に拡大していく。

②容量の拡大に伴って人口もまた増加するが、容量の伸び率が人口の伸び率を超えている時には、一人当たりの生息水準も上昇する。この時、一人の成人は自らの生息水準を落とさないで、子どもを増やすことができる。

③しかし、容量の伸び率が衰えて、人口の伸び率を下回り始めると、一人当たりの生息水準は低下し始める。これに伴い生物的(生理的)抑制装置が徐々に作動し始める。

④さらに生息水準の伸び率が落ちてくると、一人の成人が子どもを増やすためには、自らの生息水準を落とさざるをえなくなる。そこで、成人はこれまでの生息水準を維持・拡大していくか、それとも子どもを増やすか、二者択一を迫られる
 
⑤文化が安定していると、多くの成人は生息水準を落とすことを嫌って、子どもを増やすことを諦める。このことは、すでに生きている世代が、自分の生息水準と次世代の存続を比べて、自分の方を優先していくことを意味している。

⑥多くの成人がこのような選択を取りはじめると、それが社会全体に広がって、人為的(文化的)抑制装置を作動させることになる。
 
⑦文化が混乱していると、こうした選択をする余裕がなく、生息水準を低下させたまま子どもを増やしていくから、やがて飢餓や病気など生物的(生理的)抑制装置だけで対応せざるをえなくなる。

⑧文化の混乱が長期的に続いている人為的抑制装置が作動できず、人口は人口容量を超えて爆発的に増加していくため、戦争や集団自殺など破滅的な行動へつき進む


以上が人口抑制装置の作動する、大まかなプロセスです。装置の側からいえば、生息水準の低下にともなって、まず生物的抑制装置が作動しはじめ、さらに水準が低下していくと、文化が安定している限り人為的抑制装置が作動する、ということです。こうした二重の装置が作動し始めることで、人間はその人口を自ら抑制し減少させているのです。

 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月17日火曜日

人為的抑制装置には3つの次元がある!

さまざまな時代に、幾つかの民族が行なってきた、多様な人口抑制装置の実態を眺めてきました。
 
そのほとんどが生物的な抑制を超えており、意思的、制度的、社会的に人口を抑え込んでいますから、その意味で「人為(文化的)抑制装置」というべきものです。

そこで、人口抑制装置の構成を表のように整理してみますと、人為的な抑制は人口増加抑制と人口減少促進の両面で、次のような装置に分けられます。


 

●人口増加を抑える装置としては、
直接的抑制(妊娠抑制、出産抑制など)、間接的抑制(生活圧迫、結婚抑制、家族縮小、都市化、社会的頽廃化など)、政策的抑制(強制的出産抑制、出産増加への不介入など)があります。

●人口減少を促す装置もまた、
直接的抑制(集団自殺、環境悪化や死亡増加への不介入など)、間接的抑制(飽食・過食による病気の増加、生活習慣病の増加、都市環境悪化など)、政策的抑制(老人遺棄、棄民、戦争など)にわけられます。

とすれば、人為的な抑制装置は概ね、直接的抑制、間接的抑制、政策的抑制の3つに整理できます。政策的というのは、村落、都市、国家などの集団が、一定の意図を持って人口増減に介入するという意味です。

いずれにしろ、私たち人間は人口容量の制約が強まるにつれて、これら3つのうちいずれかを選んで行なったり、あるいは3つ全てを動員して、人口増加を抑えているのです。

もっとも、このように書くと、私たち一人一人が容量の上限を大局的に理解して、国家や社会のために意識的に抑制装置を作動させるのだ、と誤解されそうです。

だが、そうではありません。3つの装置は個々人の社会的な意識の高さとして作動しているのではなく、経済的な苦しさ、居住空間の圧迫、生活時間の多忙さなど、彼らが肌身で感じた実感あるいは感触によって、自から作動させているものです。苦しい生息環境を少しでも改善しようとする時、意識的あるいは無意識的に作動し始める、といってもいいでしょう。

それはちょうど、多くの動物が種全体を保存するために個体数を抑えるのではなく、自らの生存適応度を高めるために抑制行動を始めるのとまったく同じことなのです。
 
  (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月13日金曜日

大都市は「蟻地獄」だった!

人口抑制の第一の方法は直接的なものでしたが、もう一つ、第二の方法として間接的なものがあります。その代表は大都市化による人口抑制です。



歴史人口学者の速水融は、「概説一七―一八世紀」(『日本経済史1・経済社会の成立』所収)の中で、江戸中期の日本においては、堕胎や間引きのような、直接的な抑制とともに、間接的な抑制も行われていた事実を指摘しています。

 

「都市では男子人口が女子人口より著しく多く、この性比のアンバランスのため有配偶率が低く、結婚年齢が高くなる結果、出生率が低くなること、人口密度が高いため、また衛生状態や居住条件が悪いため、災害や流行病で人命が失われる危険性がより高く、死亡率が高いことなどがあげられる。発展する都市は周辺農村からの人口を引きつけたが、流入した人々にとって都市は『蟻地獄』であったのである。また農村からの出稼ぎの若い男女が都市の『蟻地獄』から脱出し帰村しても、結婚は遅れ、それが農村の出生率に影響を与えることになった」

要するに、江戸中期に成熟した江戸や大坂など大都市は、晩婚化や単身化を拡大させ、また衛生環境の悪化で死亡率の上昇や出生率の低下を引き起こしたばかりか、全国の人口まで抑制していたのです。

この背景は、次のように整理できます。

①都市では男子人口が女子人口より著しく多いため、有配偶率が低く、結婚年齢が高くなって出生率を落とした

②農村からの出稼ぎに出た若い男女は、都市から帰村してもやはり結婚が遅れたから、農村の出生率を低下させた

③人口密度が高く、衛生状態や住居条件が悪いため、災害や流行病で人命が失われる危険性がより高く、死亡率を高めた

このうち、①と②は出生数抑制であり、③は死亡数促進といえますが、両方が絡み合って、当時の大都市は周辺農村からの人口を引きつけたうえで、次々に減らしていく「蟻地獄」であったのです。

日本の歴史を振り返ると、人口容量の飽和に伴って、生理的抑制装置のみならず、生活水準優先、個人主義志向、大都市志向、単身化・晩婚化志向などの人為的文化的)抑制装置もまた、的確に作動していたのがわかります。

  
(詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月11日水曜日

日本人も人口を抑制してきた!

日本人もまた人口を抑えてきました。

日本の歴史を振り返ってみると、江戸時代中期の享保から化政期に至るほぼ1世紀が、最も典型的な人口抑制時代でした。当時の人口は1732年に3230万人でピークに達した後、1790年ころまで約60年にわたって減り続け、以後は停滞しています。

直接のきっかけは、気候の極端な悪化でした。1730年代に一旦上昇した気候は、その後急落したため、大飢饉を何度か発生させています。

だが、気象の変化はあくまでもきっかけにすぎません。本質的な要因は、当時の人口容量を支えていた集約農業にさまざまな制約が強まったからです。最大の背景は、もともと亜熱帯性の植物である稲作を東北地方にまで普及させていましたから、気候のよい時はともかく、大規模な気候不順が発生すると、その被害は甚大なものになったのです。

その結果、出生数と死亡数の両面から、さまざまな人口抑制装置が作動しました。これにも直接的な方法と間接的な方法があったようです。

第一は直接的な出生抑制です。当時の農民たちは、自らの生活水準を維持するために、晩婚・非婚や間引きや堕胎を行なっています。従来の説では、この時期に農業生産が停滞したため、国民の多くが貧困に喘いで“積極的”に人口を抑制したのだ、と理解されていますが、本当はそうではありません。

 


アメリカの歴史人口学者S.B.ハンレーSusan B. Hanley,1939~)とK.ヤマムラKozo Yamamura, 1934~)は『前工業化期日本の経済と人口』の中で、次のように述べています。



江戸期の農村で行われた人口抑制装置には「養子や十分な所得が得られる時のみ結婚を許可すること、とくに女子について初婚年齢を規制すること、そして堕胎と間引きがあった」と指摘しています。

つまり、①所得水準による婚姻の制限、②女子の初婚年齢の規制、③結婚後の間引きや堕胎、の3つです。

所得水準による婚姻制限
三河湾岸の西方村(現・愛知県宝飯郡御津町)の「宗門改帳」を調査した2人は「天明飢饉以降、西方村では、直系でない者と結婚した女子は一人もいなかった。したがって、一人の息子のみが父親の後をあてにできたにすぎず、その他の者は他所稼ぎに出るか、家に留まり、独身のまま兄に仕えるかのどちらかであった」とし、「通常、結婚が許され、家族内に留まることができたのは息子兄弟のうち一人にすぎなかった」と一般化しています。

女子の初婚年齢規制

当時の平均初婚年齢が22歳とかなり高かった背景には、さまざまな規制があったからだ、と2人は述べています。「だれが結婚し、だれが独身で留まることになるかの選択は何の基準もなく行なわれたのではなく、明らかに経済的理由をもっていたと考えることができる。また仮に彼ら自身の経済的な配慮が働いていなくても、人々は藩の規制になかに自分たちの行動を束縛する要因を見出し」ていた、というのです。

結婚後の間引きや堕胎

「間引き」という日本語は「苗を間引く」ことに由来する嬰児殺しを意味していますが、飢饉時には多数の事例がみられたため、諸藩は相次いで禁令を出しています。また堕胎は牛蒡科の「いのこずち」や水銀複合薬などの薬品、腹部への圧迫や異物挿入などの物理的手法がありました。これに加えて、19世紀初頭には主な都市に堕胎医まで登場していた、と述べています。

そして重要なことは、こうした方法が飢饉や凶作のために「やむなく」採用されたのではない、ということです。そうではなく、「これらの村の人口が一人当たりの所得を最大化し、またそれによって生活水準の維持、改善することに結びついた慣習に従っていた」ためだった、というのです。

つまり、当時の両親が出生数の抑制に走ったのは、多くの子供を持つよりも1人当たりの所得を最大化し、生活水準の維持・改善をめざすという選択の結果でした。元禄期の高度成長を通じて、すでに著しく高い生活水準を経験していた彼らは、その水準を維持するために、〝予防的〟に人口抑制へ向かっていったのです。


(詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月9日月曜日

近代ヨーロッパで行われていた人口抑制

これまで述べてきた事例のほかにも、17~18世紀のヨーロッパで行われた、さまざまな人口抑制については、人類学者や歴史人口学者の幾つかの研究があります。主なものを紹介しておきましょう。

●アメリカの生態人類学者M.ハリス(Marvin Harris:1927~2001)の報告(『ヒトはなぜヒトを食べたか』)

 ①近代初期おいても「嬰児殺し、中世とほぼ同じくらい の規模で、引き続き直接間接に行なわれた」おり、法律上は過失や故意とみなされたにしても、ほとんどの場合は「不慮の事故」として片付けられていました。

捨て子の数も急増していました。当時、イギリス政府は捨て子養育院を設けて収容していましたが、そこもたちまち修羅場と化し、「その最も重要な機能は、ヒトを殺す権利を自らが独占しているという国家の主張を体現するもの」になりました。


実際、ロンドン最初の捨て子養育院には、1756~60年の5年間に1万5000人の孤児が収容されましたが、青年期まで生き延びた者はわずか4400人にすぎません。

そればかりか、さらに何千という捨て子が、教区の貧民院の雇った乳母によって生命を奪われ続けました。これは、教区の役人が経費節減のために、「人殺し乳母」とか「畜殺婦(ちくさつふ)」と仇名された女性たちに嬰児殺しを任せた結果でした。


●アメリカの歴史人口学者W.ランガー(William Leonard Langer:1896~1977)の報告(“Infanticide:A historical Survey”など)

近代のイギリスでは「添い寝の際の寝返り」の結果とされた死亡届の裏側で「望まれぬ子どもがジンや麻酔薬を飲まされて死んだり故意に餓死させられ」ており、「18世紀のロンドンその他の大都市では、嬰児の死体が街路や汚い場所に横たわっている光景をみるのは珍しいことではなかった」のです。

●イギリスの歴史人類学者A.マクファーレン(Alan Macfarlane:1941~)の報告(『イギリスと日本』)


人口抑制の間接的な要因として、当時の大都市が人口抑制の機能を果たしていました。人口密度の高い大都市は産業廃棄物や市民の汚物で汚染され、空気はスモッグで汚れ道路はゴミで溢れるなど大変不衛生でしたから、死亡率を高めていたのです。


●イギリスの歴史人口学者E.A.リグリィ(Sir Edward Anthony Wrigley,:1931~)R.S.スコフィールド(R. S. Schofield)の報告(The Population History of England )

ロンドンの人口減少がイギリス人口に影響を与えたのは、1625年から1775年に至る150年の間でしたが、17世紀後半の75年間、ロンドンは人口増加の抑制剤としての役割を果たし、18世紀においても他の地域の余剰人口が情け容赦なくなだれ込む排出路としての役割を担い続けていました。

以上を整理してみると、17~18紀初頭のキャパシティー飽和期にヨーロッパ人が採用した人口抑制装置では、直接的には晩婚化、非婚化、嬰児殺し、子捨てといった方法が、間接的には大都市の拡大が、それぞれ効果をあげていたことになるでしょう。


 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月7日土曜日

近代イギリスも人口を抑制していた!

人口抑制は人類史の古い時代に限ったことではなく、さまざまに形を変えながら、近代初期のイギリスでも行われていました。

イギリスの人口は、ペストの影響が消えた1450年ころの200万人から増加し始め、1630年ころ約600万人に達しましたが、それ以後は停滞し、産業革命が開始される1730年代までの約100年間、ほぼ増減なしの状態を続けています。

なぜそうなったのか。その背景には、1500年代初頭に始まる農業技術の革新と農地の拡大が、急速に農業産出高を増加させはしたものの、1630年ころに限界に達してしまった、という事情があります。



このため、当時のイギリス人はさまざまな形で、人口抑制装置を作動させました。イギリスの歴史人類学者A.マクファーレン(Alan Macfarlane:1941~)は、最も直接的な目的として出生率の抑制をあげ、その手段を①性交渉の抑制、②性交渉後の妊娠抑制または避妊の拡大、③出産回避の増加、の三面から分析しています(『イギリスと日本』)。


 
①性交渉の抑制については、晩婚化と生涯独身率の高さを指摘しています。
晩婚化では17~18世紀の女性の平均初婚年齢が26歳を超えており、また生涯独身率では、未婚女性の比率が1600~49年の約20.5%から、1650~99年には22.9%にまで上昇し、時には30%近くまで上がった可能性もある、と述べています。そうなると、全女性の3分の1近くが結婚しなったことになります

②妊娠抑制または避妊の拡大については、母乳哺育の比率の多さ、避妊方法の普及、性交中断などをあげています。母乳哺育の比率の影響とは、授乳の一回毎の長さ、頻度、授乳回数などの形態によって、産後の無月経期間に差が生じ、それが次の妊娠を抑制するというものです。医療関連の文献などから推定すると、16~17世紀に目標とされた期間は21~24ヵ月でしたが、実際の平均期間は16世紀で4.5ヵ月、17世紀で13.7ヵ月であり、18世紀の8ヵ月より大幅に長かったと推定されています。

また避妊方法については、性欲を抑制させる各種の薬草や薬品、原始的なペッサリーやコンドームなどがすでに登場してはいましたが、実際にはほとんど使用されておらず、その効果も限られたものでした。

③出産回避の増加では、中絶と嬰児殺し考えられます。中絶については、すでに18世紀に専門の堕胎施術者や助言者、あるいはサビナビャクシンのような堕胎薬が登場していました。だが、主な目的は社会的に認知されない出産を避けるためであり、夫婦間の一般手段ではなかったようです。

他方、嬰児殺しも他国と同様、当時のイギリスでも行なわれていました。が、それもまたほぼ例外なく非嫡出子が生まれた場合に限られており、人口抑制の手段として行われていた可能性は低い、とマクファーレンは述べています。


 詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月5日木曜日

古代ローマの人口抑制装置

『人口論』の中でR.マルサスはさらに筆を進め、古代ローマについても、大昔から嬰児殺しの風習が広まっていた、と指摘しています。



ローマ市の伝説的な建国者ロムルスの定めた法律の中には、すでに3歳未満の子どもの遺棄を禁じたものがあり、このことから、生後間もない子どもを捨てる習慣が、それ以前にも広く行なわれていた、と推定しています。



 その後、帝国初代のアウグストゥス帝(BC27~AD14)や五賢帝の1人トラヤヌス帝(98~117)も、結婚と出産を奨励する法律を何度も出しましたが、その効果はほとんどなかったようです。




それを裏付ける証拠として、2~3世紀のキリスト教護教家ミヌキウスが「私はお前たち(ローマ市民)が、ある時は生まれた子どもを動物や鳥に委ねるのを、またある時は子どもを窒息させて死の世界に追いやるのを見ている。彼らの中には、自分の内臓の中に吸収される薬を用いて、生まれ来る人間の萌芽を消し去り、分娩の前に尊属殺人の罪を犯す(者もいる)」と書き残しています。

にもかかわらず、その後の皇帝は三児法を制定して、なおも出産を奨励します。三児法とはローマでは3人、イタリアの他の地方では4人、属州では5人の子どもを持った人は公課を免除するというものでしたが、その効果はやはり現れませんでした

これについて、マルサスは「慈善のほかには生計を得るあらゆる手段を完全に奪われて、自分の生活もままならならず、ましてや妻と2、3人の子どもを養うことなどほとんどできそうにない一群の人々にあっては、そのような法律がどれほど効果を持ちうるであろうか」と述べています。

確かに三児法と同趣旨の法律は、ローマ市民の上流階級には多少の効果を与えたかもしれません。だが、そのような法律以上に、人口を抑えようとする、さまざまな悪習の方がローマ社会に浸透していました。すでに女たちを不妊にし、母親の胎内で人を死にいたらしめるための、多くの技術や薬品が流行していたからです。

さらにマルサスは「ローマにおいては、道徳の腐敗が少なくとも上流階級では、結婚を妨げた直接の原因であった」と述べて、風俗的な退廃が非婚化を促したことを指摘しています。

以上で見てきたように、古代ローマにおいても、人口容量の飽和化の進んでくると、晩婚化や非婚化はもとより、子捨て、嬰児殺し、堕胎、不妊、性的退廃といった抑制装置がかなり広まっていたことがうかがえます。

 
  (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月4日水曜日

文化としての人口抑制装置・・・古代ギリシア

R.マルサスは『人口論』第6版の中で、さまざまな民族や国家が独自の人口抑制装置を持っていた事例を数多く指摘していますが、その中からまず古代ギリシアの事例をみてみましょう。

紀元前6世紀、アテナイの立法者ソロン(B.C.639頃~B.C.559頃)は、子どもの遺棄を認める許可を与えましたが、それは、すでに広まっていた習慣を法制化したものでした。遺棄許可のねらいは2つあり、1つは「広く貧困と不満を生ずるような過剰人口を防止すること」、もう1つは「大きすぎる家族の恐怖、したがって結婚に対する主な障害を取り除くこと」でしたが、最終の目標は「人口を一定水準に保つこと」にありました。



前5世紀になると、哲学者プラトン(B.C.427~B.C.347)がその著『国家』の中で、行政官は戦争、疾病、その他の諸原因に基づく目減りを考慮しながら、国家の資源と需要に応じて、市民の数が多すぎも少なすぎもしないように結婚の数を決定すべきだ、と提案しています。また劣等な市民や手足の不完全者から生まれた子どもたちは、どこかひと目のつかない場所に埋めてしまわねばならない、とも書いています。

さらに適正な結婚年齢を女20歳、男30歳と決め、女は20~40歳の間に、男は30~55歳の間に、国家のために子どもを作るべきだ。この年齢の以前か以後に子どもを作ることは、非婚のまま色欲に溺れて子どもを作ったのと同じく犯罪的で、神を冒涜する。正式の結婚者以外から生まれる子どもも同じだ。こうした子どもたちは、両親が扶養できない場合と同様に棄ててしまわねばならない、と強調しています。

要するに、限界を超えて増加する人口に対しては、「劣等で不完全な市民の子どもを殺し、規定された年齢、規定された形式に拠らずに生まれた子どもをすべて殺害し、結婚年齢を遅く定め、結局は結婚数を規制する」ことで抑制すべきだ、というのです。


前4世紀には、プラトンの弟子のアリストテレス(B.C.384~B.C.322)がその著作集の中で、適正な結婚年齢を男37歳、女18歳と定めれば、37歳の男は18歳の女ほど数が多くないから、女性の晩婚化を促すことができる、と述べています。それでもなお子どもの数が多くなりすぎることを懸念して、各夫婦に許される子どもの数を規制すべきであり、規定の数を産んだ後に妊娠した女性は堕胎を行なうべきだ

また国家のために子どもを作る年齢の上限は、老いすぎると心身ともに不完全になるから、男は54~55歳で終わるべきだ。それを超えた場合の子どもには日の目をみせてはいけない、とも論じています。

つまり、全ての人が自由に子どもを持てば、必然的に貧困になる。貧困は非道と暴動の源だから、これを防止するには子どもの数の規制が必要だ、と主張しているのです。

いうまでもなく、これらの言動は立法者や哲学者の意見にすぎず、実際に規制が行なわれていたという証拠はありません。しかし、こうした言葉が出てくる背景として、当時の社会には捨て子、嬰児殺し、堕胎、
晩婚化奨励、出産年齢制限などの風習がかなり根付いていた、と推定できるのです。

 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月3日火曜日

文化としての人口抑制装置・・・石器時代

人間の人口抑制装置は、生物的次元と人為的(文化的)次元の二重構造になっています。生物的な抑制はほぼ動物と同じですが、人為的な抑制で人間独自の、さまざまな方法が行われています。

動物のケースでとりあげた②生殖・生存介入、③生殖・生存格差化、④集団離脱という、3つの抑制装置が、文化としてどのように行なわれてきたのか、人類の歴史や民族の文化の中に探ってみましょう。

事例としてとりあげるのは、世界史上の石器時代、古代ギリシア、古代ローマ、近代イギリス、そして日本史上の江戸時代中期などです。


まずは石器時代

石器時代の人口抑制装置については、アメリカの生態人類学者M.ハリス(Marvin Harris:1927~2001)が、幾つかの事例を紹介しています(『ヒトはなぜヒトを食べたか』)。


カナダ・インディアンやヌナミウト・エスキモーなど新石器時代の人々は「人口密度を1平方マイル当たり1~2人以上には決してしなかった」と推定したうえで、その主要因を子殺し、つまり嬰児殺害率の高である、と指摘しています。

石器時代のキャパシティーは、約2万年前に飽和したことが、平均身長と残存歯数から推定されています。飽和状態の下で人口増加をゼロに抑えるには、意図的な人口抑制が必要であり、最良の方法は母親の授乳期間を延長することでした。嬰児への授乳は母親の排卵能力を抑えますから、その期間が長ければ長いほど出産が延ばされることになります。

だが、それだけで人口増加の圧力を抑えるのは不可能でした。そこで、子殺し、堕胎、老人殺しが行われていました。

①子殺し
ハリスは、人類学的人口学者F.ハッサンの研究(On Mechanisms of Population Growth During the Neolithic)を引用して、自然要因による幼児死亡率が50%であったとすれば、おそらく23~35%の潜在的子孫を「間引き(嬰児殺し)する必要があった、と述べています。

またオーストラリア原住民などの調査結果などから推定すると、さらに高く50%の「間引き」があった、とも考えられます。とりわけ、その対象は女性に向けられました。

そこで、ハリスは「一夫一婦制をとらない場合の人口増加率は生殖年齢に達した女性の数によってほぼ全面的に決定されるので、女児だけをほったらかしにしておくという方法(遺棄)が最善だった」と推定しています。
 

②堕胎
ハリスは、旧石器時代の女性の推定平均寿命が28.7歳と低かった背景には、出産の間隔をあけるために堕胎したことが主要因と考えています。避妊方法を知らなかった石器時代の人々も、妊娠中絶を行なうための動植物の毒や、腹部を圧迫したり打撃する物理的方法はよく知っていましたから、これによって出産を抑えた可能性があります。

もっとも、こうした方法は妊婦の生命を奪う危険性が高かったので、「経済的・人口的に強い圧力を受けている集団だけが、主な人口調節方法として堕胎に訴えたのではないか」と付言しています。


③老人殺し
エスキモーの老人は、衰弱して自分の生活の糧を得ることができなくなると、集団が移動する時にも、その場に残って「自殺をする」ことがあります。

またオーストラリアのアーネムランドのムルンギン族では、病気になった老人は死者同然の扱いを受けて死に追いやられます。彼らの集団が葬儀を執り行ない始めると、老人はそれに対応して容態を悪化させ、自ら死んで行きます

これらの事例から、石器時代の人々も老人殺しを行なっていた、とハリスは推定しています。但し、老人殺しは「緊急の場合に集団の規模を短期間に小さくすることにのみ効果があり、長期にわたる人口増加を抑える」効果はなかった」とも付け加えています。

こうしてみると、人類はすでに石器時代から、授乳期間の延長、子殺し、子捨て、妊娠中絶、老人殺しなどの人口抑制装置を持っていたことになるでしょう。
 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

2015年3月1日日曜日

マルサスの指摘した人口抑制装置

人間の人口抑制装置は二重構造になっている。・・・この点については、すでに200年も前に、近代人口学の開祖T.R.マルサス(1766~1834)がその著『人口論』(あるいは『人口の原理』)の中で指摘しています。

マルサスは1798年に上梓した『人口論』第1版の中で、「人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しないから、その帰結として窮乏と悪徳が訪れる」という有名な理論を発表しました。人口と食料の間には伸び率の差があるから、必ずパニックへ突き進む、というものです。
 

そのショッキングな内容によって、この本はたちまちベストセラーになりましたが、同時に厳しい批判にも晒されました。そこで、マルサスは何度も書き直し、1826年にようやく第6版を完成させました。最終版でマルサスが到達した結論はおよそ次のようなものでした。



 ①人口は生活資料(人間が生きていくために必要な食糧や衣料などの生活物資)が増加するところでは、常に増加する。逆に生活資料によって必ず制約される。

②人口は幾何級数的(ねずみ算的)に増加し、生活資料は算術級数的(直線的)に増加するから、人口は常に生活資料の水準を越えて増加する。その結果、人口と生活資料の間には、必然的に不均衡が発生する。

③不均衡が発生すると、人口集団には是正しようとする力が働く。人口に対してはその増加を抑えようとする「能動的抑制(主として窮乏と罪悪)」や「予防的抑制(主として結婚延期による出生の抑制)」が、また生活資料に対してはその水準を高めようとする「人為的努力(耕地拡大や収穫拡大など)」が、それぞれ発生する。

④人為的努力によって改めてもたらされる、新たな均衡状態は、人口、生活資料とも以前より高い水準で実現される。

これをみると、第1版のパニック論はかなり薄まり、むしろパニックを解消するための、さまざまな行動の解明に力点がおかれています。つまり、③人口と生活資料の間のバランスが崩れた時、「能動的抑制」と「予防的抑制」の2つの抑制現象が始まることと、④生活資料の水準を高めようとする「人為的努力」によって、新たに出現する均衡状態は、以前より高い水準で達成されること、の2つが新たに書き加えられています。

このうち、③の抑制現象が「人口抑制装置」の存在を示唆しています。「能動的抑制」とか「予防的抑制」という訳語は、一見すると、肯定的な意味にとられそうですが、必ずしもそうではありません。

能動的抑制が意味しているのは「あらゆる不健全な職業、過酷な労働や寒暑に晒されること、極度の貧困、劣悪な児童保育、大都会、あらゆる種類の不摂生、あらゆる種類の普通の疾病と流行病、戦争、疾病および飢饉」などです。今風にいえば、人口容量の制約が強まるにつれて、きつい・汚い・危険な職業、貧困、ホームレス、児童虐待、劣悪環境、非衛生、病気多発、食糧危機などの追い込まれていくこと示しています。

また予防的抑制には「慎重な動機から出た結婚の抑制」という「道徳的抑制」と、「乱交、不自然な情交、姦通、および密通の結果を覆い隠すための不当な方法」という「罪悪」的抑制の2つが含まれている、といっています。現代におきかえれば、晩婚化・非婚化(道徳的抑制)と、性風俗産業の拡大や妊娠中絶の増加(罪悪的抑制)などに相当するでしょう。

こうしてみると、能動的抑制とは他の動物たちとほぼ同じ次元の人間の生理的反応です。これに対し、予防的抑制とは人間という種に特有の、広い意味での人為的(文化的反応)ということになるでしょう。要するに、マルサスもまた、人間の人口抑制装置の二重構造に気づいていたのです。

 
 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)